家に帰ってみると、ともよちゃんの姿が見えない。天気がいいのでベランダに出ているのかと思った。
「ともよちゃん?」
 僕は玄関から中に入った。不用心だな、部屋に誰かいるときでもチェーンロックくらい、そう思いもう一度ともよちゃんに言おうと考えながら廊下を歩くと、リビングでごとりと大きなものがおちる音がした。
 安物のインスタントコーヒーの容器が居間に転がって、中身が散乱している。そしてそのむこう、流しのあたりに黒い髪を床に広げてともよちゃんがうつぶせに倒れていた。
「ともよちゃん!」
 僕は大慌てでかけよった。自分でもかなり冷静さを欠いているのがわかる。
「ともよちゃん!ともよちゃん!とも・・・」
 呼吸はしている。けれど.かなり浅い。脈拍。−はやい。とりあえず着ているものをゆるめてあげる。携帯から乱暴な口調で救急車を呼んだ。
「はい、119番です。火災ですか?救急ですか?」
「救急だ。早く来い。五分以内にこなければおまえの家の犬を殺す」
 救急の受付要員はなにも返答できないようだった。可能な限り早く救急車を送ることを約束させ、ともよちゃんへの呼びかけを続けた。
「ともよちゃん!ともよちゃん!」
 ともよちゃんの白い肌はいっそう青白く見えた。
「ともよちゃん!」
 僕が激しく肩を揺するとともよちゃんは薄目をあけた。ぼんやり、とした表情で僕のほうをみている。
「まあ・・・涙を、流されるなんて。酷いお顔ですわ・・・どう・・・されましたの?」
 僕は安心して、そしてやっと子供のようになきじゃくりながらともよちゃんの肩を揺すっていたのを理解した。まるで親にはぐれた子供のように。
「どこか・・・具合でも悪いん・・・ですの?」
 それはこっちのせりふだよ、ともよちゃん。
 がちゃり。玄関が開く。
「救急です。どうされ・・・」
「遅いんだよこの税金泥棒!てめえともよちゃんに万が一のことがあってみろ、ぶっころ・・・」
 くい。
 半狂乱で救急隊員にくってかかると、そでを、つかまれた。
 ともよちゃんが、困った顔で僕を見ながら。力なく僕の手を引いている。
 いつものように、僕は僕の愚かさを悟った。
「ひとりで大丈夫ですわ。おくすりがおかしかったみたいで」
 ともよちゃんがたおれたのは、抗鬱薬か安定剤かなにかが体にあわなかったらしい。
 ともよちゃんは明日の仕事が早い僕を気遣って、僕の病院への付き添いを断った。
 ともよちゃんは僕のかわりに救急隊のひとに頭を下げた。
 胃洗浄。それがとても苦しい治療であることは聞き及んでいた。でも、ともよちゃんは笑顔で。
 救急車が去った後、部屋に戻った。コーヒーが一杯と.紅茶が一杯。家に帰る前、携帯から電話を入れたときはなんともなかったのに。
 そうしてともよちゃんは僕がかえるのにあわせてコーヒーを淹れてくれていたんだ。安物の、インスタントコーヒーを。
 我慢しようと思った。でも。
 泣いた。