あさからなんだか歯茎が痛む。別に血は出ていないみたいなんだけれど、すこし痛い。
「こういうときは歯医者さんでいいのかなあ」
 などとひとり居間で呟いているとともよちゃんが起きてきた。
「あの、きのうは」
 すこし恥ずかしそうだった。ああそうか、僕は合点して、そしてすこし悪戯心を出した。
「ふふふ、まさかともよちゃんがあんな寝言言うなんてなあ」
 ともよちゃんはずいぶんと慌てた。かわいそうだったのですぐに嘘だと告げる。するとともよちゃんは今度は怒り出した。今日は喜怒哀楽の表現が激しい。よく眠って、精神的なエネルギーも回復したのだろうか。だとしたら結構なことだ。
「それはそうと、歯が痛みますの?」
 急にともよちゃんが気遣わしげに僕を見る。もう怒ってはいないようだ。
「ううん、えと、歯茎が痛い」
「まあ、それは歯槽膿漏かも知れませんわね」
 僕は飲んでいたコーヒーを危うく吹き出すところだった。改めてともよちゃんをみると笑っている。
「さっきのお返しですわ」
 本当に今日のともよちゃんはなんだか別人みたいに活発だ。僕は拗ねた振りをしながら、内心嬉しかった。
「でも、冗談ではなくて、本当に」
 ともよちゃんが真顔で言う。
「なにかの病気かもしれませんね」
 そういうと顔を近づけてくる。あまりにも間近に―息使いが聞こえるほど顔を寄せてきたのでどきりとした。
「と、ともよちゃん、ちょっと」
 まだ怒ってるのかな、そう思って問いかける。ちゃんと謝らないと。でも、それは違ったようだ。
「さあ、私に息を吹きかけてくださいな。口臭があるか、診て差し上げます」
 一瞬。僕は固まった。
「そそそそそそそんなことっ」
「あら。でも、なにかの病気なら口臭がするはずですわ。さあ」
 なぜか、目まで閉じてくる。駄目だ、これじゃまるで。
「ああ、もう痛くなくなったなあ。僕は健康でよかった」
「いけませんわ。さあ」
 ともよちゃんは聞いていない。しろい、かたちのいいあごを突き出してくる。冗談じゃない。もしこれでともよちゃんに口が臭いなどといわれでもしたら、僕は。
 息を止めた。我ながら、よく我慢したと思えるほどに。しかしともよちゃんは僕がどう逃げようとしてもついてきて、ついに僕はともよちゃんの前で息を吐き出してしまった。そして。

「…くさいですわ」
 死刑判決。僕は。
「ごめんなさい」
 首を吊るロープを探しに行こうとした。そのとき。
「お酒くさいですわ…とても…」
 そういえばきのうは結構晩酌のとき飲んでしまった。なあんだ、僕はすっかり安心して。
「じゃ根本的には大丈夫だよね」
 などと言った。しかしその後のともよちゃんの言葉を、僕は一生涯忘れることはなかった。
「何であれ口が臭いことに変わりはありませんわ」