目が覚めると同時に激しい自己嫌悪の念に取り付かれた。ともよちゃんにどうやって顔を合わせたら。
「あら、おはようございます。ずいぶんと早いですのね」
 ともよちゃんは先に起きていた。いつもはともよちゃんの寝顔を確認して会社に行くのだけれど、今日のともよちゃんは早起きだった。
 僕はうん、とかああまあ、とかあいまいな返事をした。
「いつか作ってくださったおかゆを作って差し上げますわ。おなかの具合はよろしくないでしょう?」
 ともよちゃんはキッチンのコンロに火をつけに行く。僕は。
「ともよちゃん、きのうのことだけど、その」
 ともよちゃんの背中に話しかける。ともよちゃんは一瞬肩を震わせたみたいだったけど、いつものように。
「お酒を飲みすぎては身体に毒ですわ」
 などと優しく言う。とても優しく。
 僕は。
 僕は。
「昨日のこと、よく覚えてないや。どうやって寝床に入ったんだろう」
 ともよちゃんは初めて僕のほうを振り返って、そうして。とても明るい顔と声で言う。
「本当に覚えてませんの?」
「う…ん」
 僕は、嘘をついた。
「ちゃんと自分で着替えてお布団に入られましたわ。お酒に酔うと―本当に記憶をなくしたりすることがあるんですね」
 ともよちゃんは僕の嘘を見破ったように思う。けれどもともよちゃんは。まるで、気がつかない風で。
 
 ともよちゃんがおかゆを運んできてくれた。つい手伝い損ねた。荒れた胃にはともよちゃんの作ってくれた水分の多いおかゆは優しかった。けれど、僕にこんな心遣いを受ける資格があるのか、そうかんがえると胸が締め付けられた。
「ともよちゃん、あの」
 テーブルの向かいに座り、首を傾けて僕を見るともよちゃん。あまりにも純粋な愛情に満ちた瞳。
「あの、ともよちゃん」
 せっかくともよちゃんが”なかったこと”にしてくれたのに。またここで謝ってしまっては。でも、僕は嘘をついて。そんなこと。
「あした―有休とるからさ、その」
 せめて、何かしてあげたい。
「あしたは二人でどこかへ行こう。いや、何処にも行かなくてもいい。一緒にいよう」
 ともよちゃんはすこし戸惑ったように視線を宙に泳がせた。ほんの一瞬のことだった。そして―微笑んだ。
「あら。会社のほうはいいんですの」
「会社っていうのは、ひとり一日休んだくらいでどうにかなったりしないところなんだよ。まして僕みたいなボンクラ」
 ともよちゃんはうふふ、と声に出して笑った。ぼんくらってなんですの、面白い響きの言葉ですわ、あはは、などと陽気に笑ってくれた。そして、ふっと真顔になって。
「私、外に出てみます」
 ―え。粥を口に運んでいた匙を危うく取り落とすところだった。
「ともよちゃん」
「私、お買い物に行ってきます。ひとりで。それで」
 なんだって?ともよちゃんが、ひとりで?僕はもう少しで声に出すところだった。でも、ともよちゃんの真剣な気配に気おされて声が出なかった。
「買ってきた食材で、今日の晩御飯とあしたのお弁当を作ります。だから、今日は早く帰ってきてくださいな」

 いつもの時間に家を出た。ともよちゃんにはクレジットカードとPHSを渡しておいた。僕の携帯から掛ける電話以外には出ないように言い含めた。彼女に預ける分には問題ない。お嬢様育ちでも分別というものが身についているのだ。
 
「わたくしも、頑張らなくてはなりませんもの。強くならなくてはなりませんもの」
 
 あの後、ともよちゃんは自分に言い聞かせるように、小さいけれどはっきりした口調で言った。彼女に時々感じる、非常に強い意志のようなものを感じた。
 いつもの駅までの道をあるきながら。これまで僕が守っていると思っていた少女に、反対にこの僕がどれほど助けられてきたか。彼女にどれだけ救われてきたかを考えていた。
 なんていう思い上がりだったろう。なんていうあさましい思い込みだったろう。僕のついた小ずるい嘘さえも飲み込んだ彼女は、あのとき間違いなく僕を守ってくれていた。彼女の小さな決意は僕の心を昂揚させていた。