恒星日誌2601.035.001
 記録者:蘭花=フランボワーズ
 所属:エンジェル隊
 於:トランスバール皇国軍軌道基地自室



 今日はミルフィーユ=桜葉少尉の葬式が行われました。とてもいいお葬式だったと思います。棺の中に美しい花が敷き詰められ、その中でミルフィーユは両手で腕を組んで、そうしてすこし笑っていました。お化粧のせいだとはわかっているのです。けれども、なんだかミルフィーユがそうしているとまるでこれが冗談のお話で、何事もなかったかのように。
 あら、みなさん、どうしたんですかあ、泣いたりして。
 なんて、そんな風に起き上がってくるような気がしました。
「お前の好きなお花畑の中で、ゆっくり眠りな、ミルフィーユ」
 フォルテ=シュトーレンは神妙にミルフィーユの頬を撫で回しました。フォルテさんがミルフィーユに触れたとき、
「冷たい…」
 そう呟いて、一瞬呆然としたように見えました。私はフォルテさんが、本当に冗談抜きで涙を流して泣いたのをはじめて見たように思います。私が死んだら、こんな風に泣いてくれるのだろうか、などと埒もない考えが浮かびました。
 こんな死に方でなかったら、きっと盛大なお葬式になっていたことでしょう。善良なミルフィーユのことです、きっとたくさんの人が彼女の死を悼んで集まってくれたことと思います。しかしいまこの宇宙葬用のカプセル射出ブロックに集まっているのはエンジェル隊の4人(ああ!)とウオルコット中佐のみ。とても寂しいお葬式となってしまいました。
 その後ミント=ブラマンジュがミルフィーユに献花しました。真っ赤なチューリップを一輪。胸元に置かれた赤い花はエンジェル隊の白を基調にした制服にとてもよく映えて美しく、それはあまりに美しく、そうして血のようで。私には恐ろしいものに見えました。
「彼の者に災いを。この世界のありとあらゆる苦痛を。死を」
 ヴァニラ=アッシュは何かの祈りのような呪いのような、おぞましい言葉を呟いておりました。その有様はあまりにも一身で、私にはその呪いが本当に効果のあるものなのではないかと疑ったほどです。私は本来唯物論者ですが、ミルフィーユをこんな目にあわせた男は呪われてしかるべきではないかと思いました。

 男。ミルフィーユには、男がいました。私はよく好んで使いましたが、下司な言い方です。そう、たとえば”想い人がいました”などと申し上げればもう少し綺麗に聞こえるのでしょうけど、こんな結末を迎えてしまっては体裁に拘ったところでそれほど意味のあることとは思えません。
 ああ、どうして私たちはミルフィーユの日常の変化に気がついて上げられなかったのでしょう、彼女の苦悩を理解して上げられなかったのでしょう。きっとこのことは私たちの生涯の一切にどす黒い影を落とし、苦しめ続けるに違いありません。きっと私たちはもう昔のように心から笑うことはないでしょう。
 ミルフィーユには、男がいました。そのなれそめ、どんな交際をしていたなどといったことは詳細をもはや知りうる術もなく、そうしてそれは些細なことでしかありません。基地内の誰もミルフィーユのそうした変化には気がつかず、ただ休暇の外出時にとても嬉しそうにしていたなあ、とか、最近はすこしやつれた様子で、そのことを問いただしても、
「大丈夫ですよお、えへへ」
 などと微笑むだけ。だからおとといミルフィーユが死んだのは突然のことで、あまりにも突然のことで私たちにはたちの悪い冗談にしか思えませんでした。
 ミルフィーユが見つかったのはトランスバール本星の、人気のない砂浜だったそうです。朝早くに砂浜に打ち上げられたミルフィーユは地元の老人に発見され、救急車ですぐさま搬送されました。しかし、何もかもが手遅れだったのです。
 事故では、ありませんでした。その砂浜からさほど離れていない岬の突端に、遺書と、遺髪と、靴が2足。男物と女物の。ミルフィーユはお気に入りのピンク色のパンプスを履いていたそうです。ああ、そんなこと、どうでもいいのに。私のまぶたにはあの日ミルフィーユが出て行くときの様子、かげりのない笑顔で、明るい色合いのワンピースを着て、造花があしらわれた麦わら帽子をかぶって。私はついなんのけなく。
「あらあ、ミルフィーユ、お出かけえ?ご機嫌ねえ」
 などと。馬鹿なことを行ってしまいました。ミルフィーユは、
「ええ、今日はすこし遅くなるかもしれませんが、皆さん、風邪なんて引かないでくださいね、お元気で」
 そのとき待機任務中だった私は立体テレビのつまらないプログラムに夢中で。よく考えるとお元気で、なんてまるでお別れの言葉ではありませんか!なのに私はさらりと、
「んー、ミルフィーユも元気でね」
 などと煎餅をぼりぼりかじりながら、彼女を見ようともしませんでした。
 
 まさか、あれが今生の別れになるなどと。
 
 ああ、あの時私がすこし彼女の常ならぬところに気がついていれば。せめて一言相談に乗って上げられれば。
 いえ、せめて最後のお別れをきちんと済ましておけば。
 私はミルフィーユの出かけるとき、目もあわせていなかったのです。そのことが本当に悲しく思われます。
 
 
 岬の突端からミルフィーユは男と飛び込みました。そうして、ミルフィーユは、死にました。男は、助かりました。
 ミルフィーユの命が奪われたことが悲しく、男の命が助かったことが腹立たしく、一体どうしてあのミルフィーユが心中などと、と私たちはウオルコット中佐に詰め寄りました。中佐ははじめ、一切存じ上げません、などととぼけていましたが、やがて口外無用ということで一切を話してくれました。
 厭世的で重いアルコール中毒と薬物中毒だったその男は絵描きだったそうです。つまらない絵描きで、勿論絵を売って生活できるではなく、時にアルバイトをしたり、飲まず食わずで過ごしたり、そんなことをしている男だったそうです。
 何故そんな男にミルフィーユが恋心を抱いたのか、私にも中佐にもわかりませんでした。ただ、ミルフィーユの部屋には機嫌のよさそうに笑うミルフィーユの似顔絵が一枚、そうして、その絵に書かれていたサインと日付が生き残った男の供述したミルフィーユと交際を始めたころの日付と一致したそうです。おおかた、公園で似顔絵書きでもしている男にいつもみたいに無邪気に一枚似顔絵を頼んだのでしょう。それが、きっかけだったのか。
 ミルフィーユの口座からはこの一月ほど預金の引き出しが激しく、ほとんど残高はゼロで、すこしばかりの借金がありました。そうして彼女の部屋からは恐ろしいものが発見されました。私たちはその事実だけはまったく信じられず、受け入れられず。そうしてミルフィーユの最近のやつれ方、おかしな様子などを思い出し、ようやく合点がいきました。
 ドーパミンレセプタ不活性化薬。古典的な覚醒剤でした。
 お互い惹かれあった彼女たち(なぜ私はこんな悲しいことを認めなくてはならないのでしょう?)。男は”芸術のインスピレーションを得るため”に、即効性があるとしてその薬物を使用していました。俗な品性をした男だと思います。
 きっと、興味本位だったんだと思います。あの子がそんな薬に手を出す理由が他に思い当たりません。ミルフィーユはあまりにも無垢で、世間知らずでした。
 純度の高い覚醒剤はあっという間にミルフィーユを麻薬中毒にしてしまいました。この古いタイプの麻薬はトランスバールでは取締りがたいそう厳しく、そうして高価でした。
 高価な薬物を買い求めるために、男と一緒に血眼になって売人を探し、預金を引き出して。任務中も、すこしお手洗いになどと何処かへ行ってしまうことがありました。あの時ミルフィーユはきまって酷い汗をかいて、うわっつべりなしゃべり方で。そうして帰ってくると、とても陽気なんです。どう考えてもおかしかったのに、それでも私たちは彼女の変化には気がつきませんでした。

 なんということでしょう、恐ろしいことはそれに留まらなかったのです。
 ミルフィーユは、妊娠していました。2ヶ月でした。
 おそらくもう、どうしようもなかったんだと思います。
 トランスバール皇国軍の女性士官が薬物中毒になった挙句、男と心中。その事件はある程度のニュース・ヴァリュを持っていたようです。マスコミにも取り上げられました。
エンジェル隊ってのはいくらでもやらせてくれるんだってよう」「その上金まで貢いでくれるらしいじゃねえか」
 男性下士官たちが食堂で下劣なことを口走っていました。私は瞬間血が逆流するのを感じ、その下司どもを殺すつもりで殴りかかろうとしましたが、引き止められました。フォルテさんでした。
「もう、これ以上ミルフィーユを悲しませるんじゃあ、ない。私たちだって、どうせろくなもんじゃあないんだ」
 私は私の中で沸き立った血がいっぺんにその温度を下げていくのを感じました。
 そう、私たちは愚か者の集まりでした。どうしようもない愚か者でした。





「もう充分に、お別れはなさいましたか」
 低い、そして悲しみに満ちた声で中佐が尋ねてきても、最後まで私はカプセルの中のミルフィーユにとりすがって、泣いていました。冷たいほほに顔を寄せて、せっかく整えられたミルフィーユの髪を、また乱してしまいました。本当にいくら泣いても後から後からどんどんと涙があふれてきて、止まらなかったのです。
 ミルフィーユ、ミルフィーユ、ミルフィーユ!
 いくら叫んでも、泣き喚いても彼女はなんとも言い返さないのです。身体を抱きかかえて。けれど、首がだらり、と向こうを向いてしまいました。しろいのどのあたりが見えました。身体にぬくもりはありません。鼓動はありません。呼吸はありません。
 いのちのない。魂の、抜け殻。
ミルフィーユ」
 フォルテさんと中佐に引き離されて、私は我に返りました。
「―死んだのね」
 そうして、私の涙はそれきり、枯れてしまったように思います。 ミントとヴァニラがミルフィーユの髪の毛を綺麗に梳ってゆくさまを呆然と眺めました。いつの間にか神父が現れ、何か言葉をかけていました。
 棺が、チェンバーの中に挿入されます。私がむちゃくちゃにしてしまったミルフィーユの髪も、お花畑も元の通りに直されていました。
ミルフィーユが」
 カウント・ダウン。空気の充填される音。
ミルフィーユが、行っちゃう。ミルフィーユが」
 射出。レーダーシステムが銀河の中心方向へ向けてミルフィーユを乗せたカプセルが射出されたことを無機質に伝えてきて、そうしてお葬式は終わりました。
 くらい、空へ。私はミルフィーユが、あの騒がしくて人懐こいミルフィーユがたった一人で寂しくないか、それだけが気がかりで気がかりでなりませんでした。