昨日の雪で滑って転んでしまった。なんだか今日になって足がとても痛くなってきたので会社を休み、りんなのところへ行って時間をつぶすことにした。
 りんなは10歳なのにケーキ屋を経営していた、とても偉い少女だ。しかもプリンセスアカデミーにも何年か通学していたらしい。突然ナルコレプシーがひどくなって、日常生活ができなくなってしまわなければ、もっといろんなことができたはずなんだけれど。今は伊那谷のちいさな駅のそばの古びた農家を借りて、一人で生活している。
 さびしくないのかい、僕は何度かりんなに尋ねたんだけれどいつもりんなは首を振って、
「さびしくなんてないみゅ」
 なんていう。でも、でじこぷちこたちがデジキャラット星へ帰ってしまい、うさだ焼身自殺したいま(どうやら異性関係でもめたらしい、男の家の前でガソリンをかぶったのだそうだ)、彼女と話す人はおろか彼女を知る人すら少ないのだ。ケーキ作りで稼いだお金を元に、細々と一人きりでくらす彼女をほうっておくことはできなかった。
 
 駅について電車を降りる。つぎにこの駅に電車がやって来るのは2時間半後だ。谷のほうへすこしだけ降りていくと、一軒だけぽつんと農家があった。
 ああ、また。りんなは子猫のように縁側で丸くなって寝ていた。一応サッシのようなもので外気とは遮断されているもののそのままでは寒いのだろう、背中でストーブをがんがん炊いている。
「りんなちゃん、火事にでもなったらどうするの」
 勿論僕が話しかけたところでりんなちゃんはおきるわけではない。いちおう、お邪魔しますとだけ言うと縁側に靴を脱いであがり、奥のほうから毛布を2,3枚引っ張り出してきてりんなにかけてあげた。
「…みゅ?」
 その拍子にりんなは起きてしまったらしい。
「りんなちゃん、だめだよ、ちゃんと火を消さないと」
 そうはいっても、りんなが突然眠り込んでしまうのはりんなの意思ではどうしようもないのだ。プリンセスアカデミーに通っていたころは、大量にリタリンを投薬してなんとか日常生活を送っていたらしい。僕はその話を聞いて激怒した。10歳の少女に覚せい剤まがいの薬を投薬してまで学校に通わせるなんて。
 なにが新シリーズだ、なにがプリンセスだ、なにが招き猫商店街だ。大切なのはりんなちゃんのことだ。
 僕が怒鳴り込んでいったときのでじこの母の狡猾そうな表情は忘れられない。世の中の大人や権力者たちはみんなああいう事をするんだ。
 僕はりんなをすぐに病院に連れて行き、就学不可能な旨診断書を書かせるとりんなを静養させるべく何処か別荘のようなところを探しはじめた。僕はそのために全財産を差し出すつもりだったのだけれども、りんなは僕の申し出を断って、この伊那谷の寂しい無人駅のそばの民家を安く買い取ったのだった。
 

 りんなは目を覚ましかけて、うつらうつらしている。僕は勝手に茶を淹れてりんなのとなりに腰を下ろした。背中のストーブのおかげで温かい。りんなは相変わらずむにゃむにゃと寝言を言いながら丸くなって眠っていた。すこしずれた毛布を肩までかけてあげる。我ながら馬鹿だなあ、と思いながらりんなの寝顔を覗き込んだ。その寝顔はとても清らかで安らかで、つい見とれてしまった。なんだか、石鹸のとてもいいにおいがした。
「…ケーキ、焼いてあるみゅ」
「うん」
 りんなはなんとか覚醒しようとするのだけれど、どうしても起きれないらしい。
「オーブンの中だね、りんなちゃんが起きたら、一緒に食べようよ」
 僕がそういうとりんなは、
「みゅ…」
 とだけ言って、また眠ってしまった。僕もなんだか眠くなってきたのでつい横になった。しんと静まり返った家の中に、りんなちゃんの息遣いだけが聞こえる。
 りんなが、また、寝言を言った。
「ちゃんと、起きていたいみゅ…。眠いのは、いやみゅ…。普通にお話したり学校に行ったりしたいみゅ」
 ぼくがはっとして起き上がって、またりんなの顔を見ると、りんなの頬に涙が伝っていた。
 年齢を考慮しない無理な投薬と過酷な労働がたたって、彼女の病気は悪くなりこそすれ、決してよくなりはしないのだ。
 りんなが涙を流すその顔はあまりにもせつなそうで。でも、抱きしめてあげることもできず、僕も静かに涙をこぼすことしかできなかった。