大道寺知世の手紙(4)

 明日から暖かくなるそうですね。談話室のテレビをぼうっと見ていますと、そんな風に他人事のように季節を感じ取っている自分に気が付いて、寂しい思いをします。けれどもあせらないようにと、それだけは守っていこうと思っています。
 昨日はたくさん本や日用品を届けていただいて、ありがとうございました。とてもとてもうれしゅうございました。よく考えると重たい本ばかりわたくしも部屋に置いていたのを失念していました.無理を申し上げまして、申し訳ありません。
 膝を痛めた由、大変心配です。あまり痛むようなら、どうかお医者様にかかってくださいまし。膝や腰を痛めて運動ができなくなった人はいくらでもいると聞きます。お休みを入れるのも勇気のいることと思いますけれども、それもトレーニングの一環だと思って休息をおとりくださいまし。心配するなといわれても、どうしても心配になってしまいます。

 本を頂いたおかげで、昨日、今日とあまり退屈をせずに過ごせました。佐々木さんとも楽しくお話をしましたし、他の患者さんもとても親切で、こころ穏やかに過ごしています。
 でも、すこし気になることがあるのです。佐々木さんは私のことをどうも知っているようなのです。わたくしも病気が病気ですし、あまり自信はないのですけれど。だからこんな私が言うのもヘンなことなのですが、私は彼女に自分の名前を名乗ったことはないのです。その記憶がないのです。それなのに会った次の日、偶然談話室へ向かう廊下で鉢合わせたところで、”ともよちゃん”などと声をかけてくださるのです。もちろん親しくしていただけることは大変ありがたく感じるのですけれども、わたくしはすこうし驚いて、あら、どうして私の名前を、などと聞き返してしまいました。佐々木さんはそのとき、とても狼狽いてしまわれて、そうして突然はあはあと息を切らせてしまわれました。看護師さんが駆けつけて布のようなものを口にやると、すぐに呼吸は落ち着いたのですけれども、どうやら過呼吸の発作を起こしてしまったようなのです。
 そのときの騒ぎで、なぜ彼女が私の名前を知っていたのかはうやむやになってしまいました。けれど、わたくしのこころには釈然としないものが残りました。よくよく考えてみれば、彼女が私以外の人からあらかじめ私の名前を聞いていた、ということもありうるのでし、別段そのことは不自然ではなかったのです。ただ、あのときの佐々木さんのうろたえぶりはすこし普通ではなかったように思います。
 けれども彼女が昔の私のことを仮に知っていたとして、そのことを黙っていることが、彼女にとって何のメリットがあるのでしょう。そうして考えているとすこうし、頭の奥のほうに痛みが走りました。これは考えてはいけないことなのだ、そのほうがいいのだ、と。そんな気がするのです。だから、今日は何も考えずにのんびりとしていました。それに佐々木さんはとてもやさしい方です。おとなしく見えるのですけれど、私のような鈍いところはなくて、とても頼りになります。そのうえ彼女の心はとても深く傷ついているようで、時々深刻な表情を見せるのです。ですから、わたくしもあまり彼女を困らせたくありません。
 時期がくれば何か話していただけるのかもしれません。ですから今はそのことは考えないようにいたします。
 
 造幣局の通り抜けというのは、どこかで聞いたことがあるような気がします。ニュースでやっていましたかしら。どこか、静かなところでお花見ができるとよろしいですわね。
 わたくし、さくらの花は大好きですの。
 では、また。便箋も、届けていただいてありがとうございました。やはり病院で用意していただいたものとは気分が違いますもの。
 
 
               ともよ