ゆきゆきてプリキュア(7)

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    ほのかへ

 この手紙を君が読んでいるということは、私は死んでしまっているということだ。そのことをどうか悲しまないで欲しい。私は私の義務を果たしたのだ。むしろ喜んで欲しい。
 君の知らないところで、世界は大変なことになっている。きっと世界は滅ぶ。この町は、あと3日もすれば。そうして、一月で日本が。世界は、何年かすれば。
 私のこの命がけの行動は、その決定的な破滅をすこしでも先延ばしにするためのものだ。君の命を守る。君が君であることを守る。それは結局単なる先延ばしに過ぎないが、それでも命を賭するには充分なものだと思う。
 もし私が戻らなかったら、出来るだけ早いうち、そう、今日にでも海外に引っ越すのが良い。君のご両親の元へ行くのだ。
 君には信じがたいことだろう。
 2通の極秘書類を同封しておく。一通は、米軍のアメリカル師団―空中騎兵隊が遭難したときの詳細なレポートだ。特に、添付されている画像をよく見てほしい。もう一通は、私の従軍当時の日記だ。客観的な証拠とはなりえないが、君の判断にある一定の方向を与えるだろう。
 君が懸命な判断をすることを期待している。
 勿論私は生きて帰るつもりだ。そのときは一緒に夕食でも摂ろう。いつか約束した、取って置きの私の手料理をご馳走する。
 ほのか。この世界が滅ぶとしても。ソレに人間が取って代わられるとしても、どうか最後のそのときまで君らしく生きて欲しい。君の優しいところも、頑固なところも、何もかも好きだった。


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 枕元のスタンドの下に手紙を挟んだ。居間に行き、押入れを空ける。鈍く30センチほどの長さの刃物が光る。以前山にこもっていたときに使用していた、手斧だ。こいつとサバイバルナイフがあれば、大型動物をしとめて解体することも可能だ。
 3年ぶりに凶器を手に取ったとき、さすがに震えた。奴の存在の不条理さを考えれば、あまりにも心もとないのだけれども。しかし物理的な方法で奴を倒す以外の方法は、考え付かなかった。銃が使えない以上、最大限に打撃を与えうる得物を持ち出すしかない。
 ソレを殺す。いや、殺すという表現は不適当だろう。あれはおよそ、生物ではない。人間に擬態し、ヒトの中へと入り込み、不和をもたらして殺し合いをさせる。ソレをなき物とする。ソレを消し去る。ソレを駆除する…。
 奴はヒトの命だけではなく、人間の存在そのものを奪いつくすのだ。
 町は…異様な世界へと変わり果てていた。ソレの侵食はもはや町を覆いつくし、何処まで広がっているかわからない。もう時間がない。
 俺はそのまがまがしい凶器を丁寧に新聞紙に包むと、大きめのデイパックに詰め込んだ。寝室に向かう。
「ほのか」
 雪城さん―昨日の夜、彼女を守ると決めたときからしぜんとお互いのファーストネームで呼び合うようになった。ほのかは、俺のベッドですやすやと眠っている。
 全く無防備なことだ、男の家に外泊なんて。彼女も昨日の俺の様子を見てほうって置けなかったのだろう、昨夜はあまりにも使い古された異性の家に外泊するときの手口を使った。
「おばあちゃま?きょう、なぎさの―美墨さんの家に泊まるから」 それほど話を付けるのに時間はかからなかった。彼女がいかに信頼されているか、よくわかるというものだ。
「ほのか―」
 
 軽く肩を揺するが、起きる気配はない。よかった。睡眠薬が効いているようだ。これで、彼女は今日の夕方まで眠り続けることになる。
 今日。日が暮れるまでに、カタをつける。この部屋にいれば、ソレ接触をほのかが受けることもあるまい。
 まるで寝乱れる様子もなく、すやすやと規則的に深い呼吸をしているほのか。透き通るように白い肌。意志の強さをあらわすような、太くて形のいい眉。
 ああ。美しい。自分はこんなに汚れた人間だが、こんなに美しい彼女を守ることは出来る。それで許されるものではないにしろ、彼女のために何かをなすのなら死んでも悔いはない。
 
「私も、ヒトを食べます」
 
 昨夜のあの言葉は嘘ではなかった。あのまっすぐな瞳。彼女は本当に無理ならば決して安易に同意したりはしないだろう。彼女は生真面目すぎる。本当に自分に人食いが出来るのか、考え抜いたに違いない。その心はまるで穢れがなくて。
「ほのか」
 口を開いても、彼女の名前しか出てこない。それ以上の言葉は、彼女の名を口にすること以外はまるで意味のないことだった。結局、
「行って来ます」
 準備を整えると、寝室を出た。振り向くことはしなかった。
 家を出る。
 ああ。今日も太陽がまぶしい。
 
 
 

 ベローネ学園中等部。
 午前中に例のマンションの屋上で確認した限りでは、ほのかの席は空席になっており、ソレどもで教室はあふれかえっていた。
 おぞましい化け物め。電波を感じる。
(何処へ)(何処へ隠した)(見つけ出して)(オマエの目の前で)
 飛んでくる電波を感じつつ、挑発するように私は学校を覗き込んでいた。志向性の集音マイクで教室内の会話を探る。
 電波と、人語の混じった声で、気が狂いそうになる。が、何かの手がかりがあるかもしれない。必死に会話を読み取る。
「ねえfawdねえねえgなぎさ、雪城さgaf@んって今日]::どうしたの?」
「うーん、私:pouhdもよくわかgfdasんない。ほのかga、昨日fasdfdはちょっとfasd疲れてたみたdasfdasいだし」
(ほのか)(ころす)(あのキチガイも)(ころす)
「そういえfdasばなぎさ、雪城さんのことgfagaいつのまgaにほのかってsda呼ぶようfdasfになったの?」
(ほのかは)(肉だ)(肉片だ)(肉片に名前などない)
「いやfasあ、はは;oiuはは」
「でもkhでもでも、ちょっ;ljと心配;ljだよね、;lj連絡もないんでしょ」
(今日こそ)(ほのかを)(ころしたい)
「うーん、ds家庭の事f情って奴かlkjhgもしれない」
「ああ、雪f城さんとこって…」
(ほのか)(わたしたちと)(いっしょの)(そんざいに)
 
 吐き気に耐えながら、奴らの会話を聞き取る。そのかいあってか、多少意味の通る言葉として俺には認識できた。そう。初めて俺が目撃したソレ。あの個体は、おそらく”ナギサ”と呼ばれている。ソレになる前はおそらく”ナギサ”という女子中学生だったのだろう。そして、あの個体がおそらくオリジナルだ。奴を元にソレ繁殖を始めている。
 確証は持てないが、あのオリジナルさえ倒せば、これ以上の感染はないのではないか。ソレの侵食が、あの個体を中心に起こっているのは間違いない。もし、ソレソレを産み、ネズミ算式に増殖するものだとしたら、あまりにも増加スピードが遅すぎる。
 ”ナギサ”を処理すれば、あるいは。”ナギサ”にしか繁殖能力がないのなら、あるいは選ばれた個体しか繁殖できないのなら。
 ある種の同情は禁じえないが、しかしそれとこれとは話が別なのだ。アレは、もはやソレ、だ。まごうことなき、異世界の怪物だ。この世に存在してはならない化け物だ。
 見よ、あの低周波を撒き散らすような金切り声で、何十本もの触手からピシューピシューと緑色の液体を撒き散らし腐敗臭を漂わせ、ヒトを呪わしい姿に変えてゆくあの悪魔の標本を。 
 アレは異質なものだ。本来この世界にいてはならない物だ。
 だから、排除しなければ。
 志向性マイクが、”ナギサ”の言葉を捕らえる。
「私帰@「りに雪城さ,fdsんの所へ:]:[j行って見る」
(今日は)(ほのかを)(陵辱して)(めちゃくちゃにして)(見てな)(デバガメ野郎)
 ソレがこっちを見る。いや、そんな感じがする。
(グェグェグェグェグェグェ…)
 おぞましい化け物め。笑っている。絶対にほのかは守り抜く。背中のデイパックが重かった。
 
 
 
 夕刻。”ナギサ”は多数の触手で器用にうごめきながらベローネ学園の校門をくぐった。ひとり、いや、一体というべきか。他の個体は球技のような部活をしているらしい。運動場ではさまざまなソレがラケットを触手で鷲づかみにして暴れまわっている。
 ごつん。ぶしゅう。
 ラケットが脳天(と思しき箇所)を直撃すると同時に緑色の粘液が飛び散る。それは不潔な印象のゼリー状の何かで、体液なのか、あるいは血液なのか判然としなかった。とにかく、奴らはそうしてひたすら運動場で殴り合っているのだ。
 おぞましい光景を後にして、”ナギサ”を追う。”ナギサ”は昼間の会話通り雪城さんの実家のほうへと向かっている。電車に乗ると日が傾いていた。
 後何十分か。俺は後どのくらい生きていられるだろう。
 
 俺が奴と南沙諸島で対峙した時は、きちんと装備が会った。ゲリラから奪ったアヴトマット・カラシニコフRPG-7。手榴弾
 しかしそれでも奴らに対するには不安だった。時には奴らも武器を扱うことがあった。手ひどく反撃され、大腿部に大穴をあけられた戦友は、わずか一日あまりでソレへと変わり果てていた。そう。奴に殺されたものはソレとなり、飢えて死ねばソレになり。病に倒れればソレになり・・・末期には、生きながらにソレとなっていったのだ。
 奴は、進化して行ったのだろうか。俺には、もう確かめる術はない。
 駅を降り、人通りの少ない住宅街を歩く。ああ、俺の家にも程近いところだ。うまくすればほのかが起き出す前に帰れそうだ。もし生き延びることが出来れば、だが。
 と。”ナギサ”は急に姿を消した。すこし離れて後を追っていた俺は意表を突かれて駆け出した。”ナギサ”は丁度、住宅街の真ん中にぽつんと取り残された神社へと入っていったのだ。神社の鳥居の影から”ナギサ”の様子を伺っていると、どうやら本殿の方へ向かっているらしい。
「誘って、やがる」
 つい、声が出た。恐怖を押し殺すために。自分を奮い立たせるために、怒る。
「あの野郎―ケツを蹴っ飛ばしてやる」
 
 からんからん。”ナギサ”が戯れに賽銭箱の鈴を鳴らした。
 なるほど。ここなら邪魔は入らない。かかって来い、ということか。
 俺はデイパックから手斧を取り出すと構えた。なぎさが何か独り言を言っている。
「おかしいめぽ。ほのかは病気なんかじゃないめぽ。きっと何かあっためぽ」
「なk:にいってjんのよ、どうせkkjf風邪@@@とかよ。ほのかぼ:@[oんやりしてl,kjg;.@]:るから連絡忘jmれたんだって」
「ちがうめぽちがうめぽ!」
 おかしい。何かクリアーな音声が混じる。メポ?メポってなんだ。まあいい。
 俺は鳥居の影から猛然とダッシュした。距離にして10メートル。一瞬の間だが、駆け抜けるのに永遠の時間を感じた。
「うわああああああああああああああああ!」
 叫ぶ。走る。きりつける。
 ドシュ。手ごたえがあった。
「ああああああ!ああああ!あああああ!」
「き@[jyu-^;:ゃあiuk@pあああ!ああああ;pihdあ!」
 撒き散らされる毒液。俺の手にかかって、ぶすぶすと焼け爛れる。しかしかまってなどいられない。
「ぐううああdftぎう!たすけてえ!おかあさん!りな、しほ、よしみせんせえ!
 3回。4回。袈裟切りにする。胴を狙って、力の限りなで斬りにする。しかし未だ触手はうねうねと動き続けている。
 触手を一本一本叩き切る。
「手が、私の腕がああ!いやだ、助けえええて」
「やめるメポ!なぎさが、ブラックが死んでしまうメポ!」
「痛いよう!痛いよう!あああ!私の腕がああああ!身体が!」
 耳障りな声が聞こえる。俺はひときわ大きな触手…というより大きな柱のように伸びた円柱状のものを胴体と思しき部分から切り離した。そうだ、ここが奴の弱点だ。
 ここを切り離せば、それで、全てが。
「ぎゃああああああああああああ!」
 ざん。
 全てが、おわった―。
 ソレの断末魔の叫びからは例の不可解なノイズが消えていた。しかし、それはもう、どうでもいいことだった。
「ああ、ブラックが…ブラックの首が…もうだめめぽ」
 その声のするあたりをめがけて斧を振る。
 グシャ。生物ではない。なにか硬いものが壊れる音。
 携帯電話?
 化け物め。しゃれた物を持ってやがる。しかし、その妙な声も聞こえなくなった。
 
 境内はそいつの体液で染まっている。しかし神社の中は静かで。今ここであった惨劇が嘘のように、のどかだった。
 荒い息を整えて。俺は感動に打ち震えた。
 
 
 俺は。雪城さんを守ったんだ!