エピローグ

 
 
 
「ちょっとふざけただけだよ」
「もう!冗談にもほどがあります!」
 ぷい。ほのかは頬を膨らませて横を向いた。
「だってさあ、あんまりにも気持ちよさそうに眠ってるんだもの。ちょっとくらいからかいたくなるってば第一学校、サボりだよ」
「でも…」
 不服そうだが、痛いところを突かれたほのかはうなだれた。もっとも、睡眠薬を飲まされていた彼女に罪はないのだが。
「あんまりです。とても心配したんですから」
「でも、すぐに帰ってきたじゃあないか」
 俺が帰宅したとき、ほのかは丁度起き出して、例の手紙を読んでいるところだった。そのときの蒼白な顔。まるで血の気を失っていた。
「でもやっぱり駄目です!あんな酷いこと、絶対に駄目!」
 ちょっと子供っぽくほのかが言った。ああ、そうだな、そりゃあ本気で心配するなあ。だって、アレは本当に死ぬつもりで書いたんだから。こうして生きて今ここにいること自体が、奇跡みたいなものだ。
「ふう。わかったよ。でも、あの手紙、本当のこともあるんだよ」「…どんな?」
 眉を吊り上げたままほのかが言う。なだめるのが大変だなあ。
 でも、女の子をなだめるには―
「夕食は、俺の手料理をご馳走するよ。そう最後に書いてあっただろう?」
 食べ物がいちばんだ。甘いものならなお良いんだけど。
「…………」
 まあ、そんな単純に食べ物につられるような彼女ではない。しかし、なにか仲直りのきっけが必要で。何時までもこうして怒っているわけにも行かないから。
「わかりました!丁度お腹もすいてますし!ご馳走になります!」 怒ってる怒ってる。でも、食器などの準備は手伝ってくれた。やっぱり優しいなあ、ほのかは。
 
 数十分後。
「あの。手伝いましょうか?」
 ほのかが話しかけてくる。すっかり怒りのほうは影を潜めてしまったようで、時間のかかりすぎる俺の料理がちょっと心配なようだ。
「駄目。俺がご馳走するんだから」
 実は、キッチンはちょっとすごいことになっている。だから、ほのかをキッチンに入れることは出来ない。
 さらに十分。俺はなべを持って、リビングに出てきた。
「これは、何ですの?」
「肉汁」
「肉…?」
「肉汁。知らない?」
 ふるふる。ほのかが首を振る。
「まさか、肉汁って食ったことがないとか?」
 こくこく。
 はあ。ため息をついて、俺は言った。
「まあ良いから、ご飯をよそって」
 食卓に着いた。 
 
「まあ、おいしいのね」
 ほのかはいたくこの単純な料理が気に入ったようだ。
「まあ、味噌汁に野菜と肉を入れただけなんだけどね」
「へええ」
 ほのかは感心したように頷く。からかわれているみたいな光景だが、基本的に彼女はすこし世間知らずなところがあるのだ。
「アウトドアにも最適だよ、簡単だし。ああ、軍隊のまかないでもよくあったっけなあ」
「へえ」
 めずらしい俺の軍隊時代の話。ほのかに聞かせたことがあっただろうか。
「肉にもいろいろあってね。まあ俺達が食べてたのは代用肉だったけど」
「代用肉?」
「うん。基本的に肉じゃないんだけど、まあ肉は肉なんだ」
 首を捻りながら、ほのかが器用に箸を使って肉を形のいい唇にもっていく。
「すこし…歯ごたえがあって。ところどころ、筋っぽいところもありますけど」
 ほのかが咀嚼する。ゆっくりとかんで、嚥下する。
「おいしいですね」
 もう一切れ、つまむ。随分と気に入ったようだ。
「いろんな豚がいてねえ。白肉とか黒肉とか。黄肉は本当は食べてはいけなかったんだけどねえ」
「まあ、どうして」
「うーん」
 宗教上の理由かな。いうとほのかは首を捻った。
「お変わり、する?」
「えっと…」
 ほのかが照れている。
「あはは、女の子だなあ。いいよ、いっぱい食べたら。
「じゃあ」
 よそった肉汁を手渡す。
「ああ、本当においしい。こんなおいしいものを食べたのは生まれてはじめて」
「また。大げさな」
「ほんとうよお。おいしいです。ああ、本当に」
 結局ほのかは味噌汁のお椀に3杯の肉汁をパクパクとおかわりした。
 
 
「よく食べたねえ」
「うふふ。おいしかったです」
 ちょっと照れ笑い。ああ、でも、機嫌が直ってよかった。
「でも、ちょっと気になるんですけど」
 ほのかが首をかしげる
「一体何の肉だったんです?」
「気になる?」
「はい」
 うーん。
 正直、アレをほのかに見せるのは気がひけた。一体何の肉かわからないだろうし、少々グロテスクで、あんまり食後に見せるものではないだろう。
「あのさ、ほのか」
「なんです?」
「なまこって…初めて食べた人って、勇気あるよね」
「え?ええ」
 と。ちょっと戸惑って。
「あの。見た目がとてもグロテスクなものだとか?」
「ピンポーン」
 やっぱりほのかは頭の回転が良いなあ。
「でもそういうのなら大丈夫ですよ。何事も経験ですもの」
 明るく笑ってほのかが言う。ここで引いてしまっては、俺の立場が無くなるというほのかなりの配慮だろうか。
「食べ物の見た目にはこだわりません」
「そう。よかった。じゃ、見せてあげよう。待ってて」
 キッチンに引っ込んだ。
 さて。だいたい20個くらいに分割して運び込んだんだが。
 やはり、頭部と思しき、止めに切断したパーツかなあ。
 すこし液体でぬるぬるしてつかみにくい。と、丁度毛髪のような手触りのところがあって、それを握り締めると容易にぶら下げることが出来た。
 ずっしりと、重い。運ぶのに苦労したんだ。しかしそのことを思い出すと、早くほのかに見せてあげたくてたまらなくなった。
 
「じゃーん!どうだ!グロいだろう」
 俺はそのパーツを高く掲げてキッチンから飛び出した。
 
 ほのかはぽかん、としている。ちょっと刺激が強すぎたかなあ。
「苦労したよ、こいつをしとめるの。何しろやるのはベトナム以来で、今回は銃とかなかったから、きっと返り討ちになると思ったんだ。でも、殺して喰うと結構味が良いからね、病み付きになっちゃう。ハイリスク・ハイリターン!」
 ぽかん。ほのかは口をあけている。ああ、本当に刺激が強すぎたか。見るからにおぞましものなあ、これ。
「いやあ、飢餓状態になるとこいつらが襲って来るんだよ。はじめは敵だったんだ。そう、最初は敵の死体にこいつが乗り移ったのかなあ。それから、生きてる敵にも乗り移って。最後は、味方もこいつになっちゃって、殺さざるを得なかったんだ。でも、もう人間じゃないし、殺したって平気だろ?何を勘違いしたのか、俺のこと人肉喰いとかいうけれど、あんなのデマだよ。マスコミのデッチあげさ。この国は自衛隊に冷たいからなァ。本当は、化け物に成り果てた奴らを殺したんだ。それで、喰った。人間じゃないものを食ったんだから、別になにも悪くないよね!」
 ほのかが…笑ってる?突然、ほのかは口元をゆがめて、そうしてふるふると全身を震わせた。
「それじゃ…この肉は…」
「うん。こいつの肉」
「・・・・・・・・・・・・」
 沈黙。ああ、やっぱりグロテスクすぎたか。
「エヘヘヘ、へへ」
 ほのかが笑った。俺も釣られて笑った。
「私、なぎさを食べちゃった。えへへへへ。なぎさを。へへ。食べちゃった」
 なぎさ?ああ、こいつの個体名か。
「違うよ、ほのか。もうこいつ”はナギサ”じゃない。形容しがたきもの。異世界からの、異次元からの侵略者。人類の敵。ほうら、人間の形をしていないじゃないか」
 しかしほのかには聞こえていないようだ。
「なぎさを、食べた。わたし、なぎさのこと、食べちゃった。おいしいおいしいって…言いながら…食べちゃった…なぎさのこと、食べちゃったなぎさのこと食べちゃったなぎさのこと食べちゃった」
 様子がおかしい。
「食べ…ちゃった」
 声をかけないと。
「ほのか」
 そのとき。突然、聞いたこともないような声でほのかが怒鳴った!
「この・・・きちがい!人食い!あなた、自分がキチガイなだけじゃ飽き足らないの?私がなぎさを、なぎさを…うええええ」
 ほのかは胃のものを吐いた。消化しきれない、肉。
「ああ、なぎさ、このお肉も、なぎさ・・・!」
 何を言っている?こいつはただの化け物だ。ソレだ。ソレにすぎないのに。
「ほのか」
「触らないで!近寄らないで!あなたはきちがいよ!人食いが!なに考えてるの?人食いの癖に!気持ち悪い!ああ、でも私だって!ああ、ああ!」 
 あ。
 ほのかが。
 ほのかの罵声が、遠くなってゆく。
 ほのかが。
 ほのかが。
「きちがい!早く自首しなさい!いいえ!死になさい!あ;faあ、なぎさをfg;a私は」
 ほのかがあの姿に。
 なんてこと。
「なぎ@pshさhr].:jhは友kyu.]達だったのに。やっと友達になれたのに、食hfs;,べてしまうなんて。みんなあj,:;なたのせいよ。あなたのせいで私もきちがいhm;lhtrsと同じ]
 俺の目の前にはもう雪城ほのかはいなかった。
 ただ、あいつへと変容しつつあるおぞましいソレがいるだけだった。
「近gfds寄らfgjaないで@i!側\@hlに来な^ad\gl[@aいで!」
もう、今目の前にいる物体は、金切り声とノイズしか発しなかった。
 
 俺はキッチンに投げ出してあった手斧を取って引き返した。慎重に、かつて雪城ほのかだったソレに近寄る。ソレの言うことは、もはや言語の体をなしていなかった。
\[ンfじゃえhふぉいでゃんgkjvうぇあほいれhごい;れq]

 俺は力いっぱい後ろ手に隠した手斧を振りかぶって、ソレに叩きつけた。何度も何度も、そいつが動かなくなるまで。
 
 この世が終わるまで叩きつけた。

 
 
                 (完)