きしむような制動の音をたてて木造の客車が駅に止まった。僕はがらがらの車内のなかで、きちんと列車が停止したのを確認して席を立った。なにしろこのぼろ列車ときたら毎度毎度振動がものすごく、停止するたびにがっくりと転倒するほど衝撃が来るのだ。
 手動式のドアを開けてホームに降りる。夕焼けの中、無駄に長い編成の客車列車が二十人ほどの乗客を吐き出している。車掌が駅員と何か大声で叫びながら環状のものをやり取りしている。笑顔が見えるところから見ると、どうやら仕事の話ではないようだ。
 やがて発車のベルもなく、警笛をひとつくれて、列車はのろのろと動き出した。午後六時。八時すぎにくる次の列車がこの駅の最終列車だった。
 改札を抜け待合から駅の外へでると、ロータリーにいつもの人影がある。彼女は温泉行きの路線バスの隣で、いつものようにバスの運転手に話しかけられあいまいな笑みを浮かべていた。
 今日もミルフィーユさんはわざわざ駅まで出迎えに来てくれていたのだ。
 僕はそのバスの運転手とも一応は顔見知りになっていたので、軽く挨拶をした。駅から出てきた客が一人、バスに乗り込んで、それきりだった。
 そのバスが駅前を走り去ると、ロータリーは静かになった。
 ミルフィーユさんに向き直った僕はちょっとしかめっ面になる。
「暑いだろう。良いのに、家で待っていてくれて」
 ミルフィーユさんはにこにこと笑いながら答えた。
「いいんですよう。お買い物のついでですから。それに、夕方は涼しいんですよう」
「電話を入れたときに言ってくれれば買って帰ったのに」
 ミルフィーユさんは笑いを崩さずに、でも幾分か声を落として。
「あの、迷惑だったでしょうか」
 などという。僕は少し慌てた。
「迷惑じゃない、けど。でも、君は本当はもっともっと休んでないといけないんだし。とにかく身体を疲れさせてはいけない。だから」
 そこまで言って、僕は後悔した。ミルフィーユの表情がどんどんと曇ってきたからだ。
「――はい」
 寂しそうにミルフィーユが俯いた。
 悲しいことだけど、ちゃんと言い含めておかないと。
「いいかい、ミルフィーユ。とにかく今は身体も心も休めて。そうじゃないと、いつまでたっても良くならない。焦っちゃあ、ダメなんだ。お医者さんとも話をしたろう?」
「はい…」
 ああ。酷く落ち込んでしまった。
 仕方ない。
「じゃあ、罰を与えよう」
「えっ…」
「お仕置きだ」
 僕はそういうと、いきなりミルフィーユの腕を取ると、僕の肩に両腕を巻きつけさせた。そうして、柔道の背負い投げの要領で屈みこんで、彼女の腰に手を回し、彼女を負ぶった。
「あの、ちょ、ちょっ…」
「いくら田舎といっても駅前はそれなりに商店街があるからな。人前でいい大人がおんぶされる屈辱を味わうが良い」
 ミルフィーユさんが慌てている。きっと、ものすごく恥ずかしがっているに違いない。ミルフィーユさんは僕の背中でしばらく暴れていたが、じきにおとなしくなった。
 背中にミルフィーユさんの体温を感じる。柔らかで、ちいさなからだ。彼女は顔を周りに見られるのが恥ずかしいのか、僕の背中に顔を埋めていた。ミルフィーユの呼気が首筋にかかって、くすぐったかった。
「あの、恥ずかしいです」
「そう」
 僕はミルフィーユさんの抗議を軽く聞き流すと、歩き出した。
 
「あっ」
 ミルフィーユさんが声をあげる。
「なに?」
「なんで商店街のほうへ…帰るんなら裏道を使ってください」
「買い物は?」
「…」
 いっそうミルフィーユさんの顔が僕の背中に強く押し付けられた。
 
 それから暫らくの間商店街を引き廻した。その間ミルフィーユさんは恥ずかしげにうんうんうなるだけで、そもそも何を買いにきたのかと言う根本的な問いに、お豆腐を、一丁と答えただけだった。
 顔見知りのお店の人にあれやこれやと冷やかされたりしながら、市街地を抜けて川沿いの道を歩く。ここから僕たちのアパートまで、ゆっくり歩くと20分くらいはかかった。
 途中からミルフィーユさんは具合が悪い振りをして商店街の人たちの追及を逃れるという策に出たのだが、ほぼバレバレだったように思う。なぜなら、僕がこうしてふざけてミルフィーユさんを負ぶって家に帰るのはしょっちゅうのことだったからだ。
 今日は平気な様子だったが、時々本当につらそうな顔で駅前で待っていることもあった。そのときもミルフィーユさんは固辞したのだが。
「あのう、私、重くないですか」
 やっと顔をあげたミルフィーユさんが囁くように言う。
「いや」
 僕は少しぶっきらぼうになってしまった。
 本当のところ、ミルフィーユさんはずいぶんと軽くなってしまった。
 初めて軌道基地であった頃に比べると、あんなにふくよかだったミルフィーユさんは見た目にも痩せ細ってしまっている。そのことはとても悲しいことだった。
 ミルフィーユさんが明るさを喪ってしまったことが、僕にとってはまるでこの世の終わりがきたように、悲しいことだったのだ。
「もう少し太りなさい。でないと―」
 なんだろう。で、ないと。どうだというんだ。
「はい」
 ミルフィーユさんは静かに頷いてくれた。