第一日(大阪―神戸〜(船内泊)

 
「もうじき、世界が滅ぶの」
 雪城さんのその言葉は、真実だと思う。僕が彼女と過ごした一年半。彼女の言うことは僕の全てだった。彼女の言うことはうそではなかった。結果として少々異なっていても、彼女の誠意には嘘はなかった。
 殊に人の生き死にに関わる問題に関しては、ほとんど100パーセントに近い的中率を持っている。テレビなんかをみていても、
「あ、この人―」
 なんてやけに蒼ざめた顔で雪城さんが画面を見つめているのでどうしたの、とその画面を見るとお笑いの男が一人、若い女性タレントをからかっている。
「この人が、何?」
 雪城さんに問うてみても、彼女は首を振るばかり。しばらくして、やっとちちさな声で。
「この人に、とてもよくないことが―」
 翌日の新聞にはそのタレントが事故死したことが大きく報ぜられていた。
 僕は彼女を愛していた。彼女の純粋、知性、理性、感情、正義感、その全てを愛していた。彼女の両親が不慮の事故死を遂げ、祖母が物置で首を吊ったとき、彼女の精神は明らかに平衡を喪っていた。
 その不幸の全てが自分の責任であるという妄想に取り付かれ、ちょうど妄想癖が酷くなった友人の事ですら、自分がしっかりしていればなどと自らを責めさいなむのだった。 
 
 
  
 
 彼女をどうするか、という親族会議はしらけたものだった。僕は彼女の遠い親せきでしかなく、面識すら少なかったが、その会議での大人たちの言葉の数々―”疫病神””きちがい””面倒””でも遺産が”などという言葉は僕を立腹させるに足った。
「ほのかさんは俺が引き取る」
 そういったときの、親戚たちの妙にホッとした顔は、忘れられない。俺のような社会的にたいした地位でもない、収入も少ない男にまだ中学生の少女を預けるということに、なんのためらいも感じていないのだ。ただただ、雪城家の遺産がどうしたとか、そんなくだらないことばかりを論じあっていた。
 その様子を雪城さんはぼう然と見ていた。無理も無い、あんな厄災にみまわれたのだ。金がどうこう、などと露骨な話しをする連中を尻目に僕は雪城さんに近寄った。
 そのとき彼女は本当に放心状態で。座布団の上にちょこん、と正座して。もの憂げだった。
「ほのかさん、行くとこないだろう。ここも引き払わなきゃならないし。僕んち、来るかい?」
 実のところ雪城家の家計それほど思わしくなく、相続やら税金やらで、この家を手放すことは決定的だったのだ。両親の事業も行き詰まっていて、今回の事故死も、おかしなところが在る、もしかすると保険金目当ての…などという容赦の無い言葉が週刊誌に載っていたりしていた。
「さあ、ほのかさん」
 僕は手を差し出した。しかし雪城さんはぼう然と僕の手を見るだけで。
「私といると、不幸になりますから」
 などという。沈んだ声。むかし話したときはもっと溌剌としていたが。
「何いってんだい。元気出せ、なんていわないよ。でも、君は生きているじゃないか。だから、立ち上がって」
「でも、全てが無駄に。彼らが。もう全てを。ああ、手遅れに」
 そのとき僕は悟った。
 雪城さんのこころはずいぶんと傷ついていたのだ。
 そのこころの傷が、単に一変に肉親を喪ったからではなく、もっと惨いことを彼女が体験してきただと知ったのは、すこしあとの話しになる。
 でも、そのときは。
「ておくれじゃあ、無い。無駄じゃ、無いよ」
 雪城さんは目をきょろきょろさせて、落ち着かない。背後の親せきたちは(やっぱりきちがい)(びょういんに)(きもちわるい)などと勝手なことをささやきつづけている。俺は振り返った。ちょうど藤村の所の子供が真後ろにいた。
「おまえ、学校も同じだし、歳も近いんだろ?たまには声、かけてやってくれよ」
 努めて冷静に行った。俺はこの場にいる人間全てが嫌いだった。雪城さんのことをどうするか、それが一番大切なことなのにこいつらときたら、とんとそれを無視して。
「形見やらは、ちゃんと法律道理に彼女に分配してやってくれ。俺は彼女の養育について何も見返りを求めない」
 俺はその場の大人たちに宣した。ごにょごにょとなにか行っているものもいたが、概して引き取り手が自分でなかったことにホッとしているようだった。
「いいかい、ほのかさん」
 雪城さんはちからなく頷いた。
  
 
 
 
 
 
 
 
 あれから一年有余。
 俺との広いとはいえないアパート暮らしでほのかは表面上は明るくなったと思う。ただ、不吉な予言を言うようになり、その予言は良くあたったことは前述のとおりだ。加えて、彼女が越してきてから電化製品が良く壊れた。パソコンの電源など2回もファンが止まったし、テレビは煙を吐くし。
 ある日あまりにもヘンなことが続くので近所の神社でお払いを受け、お守りを買ってきたときなど雪城さんは僕が帰ってくるなりげえげえとトイレに駆け込んで吐きだし、
「お守りを、棄ててきて、お願い」
 などと俺に懇願したりした。
 ほのかのこうした凶事を呼び寄せるというめぐり合わせ見たいなもののせいか、学校でも孤立しているようだった。彼女の友人が精神病院に入院しているという件でも、彼女のせいにする人間が多数いるとかで、そのことには怒りを感じただが。どうすることも出来なかった。
 それでも僕は彼女に誠心誠意接した。だって、そんな現象が起こることは、彼女が望んだことでないことは良く分かっていたからだ。
 
 
 
 
 僕の誠意はやがて彼女に通じた。彼女は時折浮かない表情を見せたが、それでも笑顔が戻るようになった。
 そして、先週、彼女は僕に告げた。
 黙っていようかと思ったのですが―。
 妙に神妙な口調で。
 黙っていようと思ったのですが。最後まで、あなたには楽しく過ごして欲しかったので、でも。
 なんだい、またなにか嫌なことでも起きるのかい?
 こくり。雪城さんが頷く。
「とびきり嫌なことが」
「へえ」
 僕は慌てなかった。この類の冗談は雪城さんは一切言わない。だから、彼女が今から言うことは真実なのだ。
 
「もうじき、世界が滅ぶの」

 彼女はその驚くべき言葉を、とてもあっさりと口にした。
「この世界は、滅びます。とても大きな力によって」
 さすがに、その言葉は僕の言葉を揺さぶった。ある程度は覚悟していたものの、これはさすがに―。
「たしか、なの?」
 力なく雪城さんはうなずいた。
「私はそれを止めることが出来なかった。なぎさも再起不能で…。もう」
 雪城さんが泣き出そうとするので、僕は慌てた。そうして、それが真実で、世の中が滅ぶことよりもそのことを悲しんでいる雪城さんをどうにかしないと、そのことばかりを考えて、あたふたした。
「それはいつ?」
「一週間くらいで」
「そうか―」
 僕は考えた。そうして、受け入れた。
「あのさ、雪城さん」
 雪城さんはぱっ、と顔を上げた。やっぱり頬が涙で光っていた。僕はできるだけ優しい声で彼女に聞いた。
「じゃあ、何処か行きたい所は無い?せっかくだし、ね」
 雪城さんは虚を突かれたように泣き止んで、そうして僕のほうを見た。
「海が」
「うん?」
 ちいさな声だった。
「海が見たいです。いつかあなたが話していた、旅の途中で見かけた、綺麗な海」
「よし」
 僕は雪城さんの希望にこたえることにした。
 
 
 
 
 
 別府行きのフェリーは空いていた。一等船室をとろうかと思ったのだが、
「私に気を使わないで。それに、あなたのいつもの旅行のように、してほしい」
 僕は雪城さんに自分のアルバムを見せて、学生の頃のツーリングの話しを何度かした。そのときのことを覚えているのだろう。海もそうだけど、そうした旅自体に関心があったのかもしれない。結局、2等で雑魚寝をしていくことにした。
 キャンプをするので荷物は満載、しかもタンデムで少々窮屈だったが雪城さんは寧ろ喜んでいた。船旅もものめずらしいものらしく、デッキではしゃいでいたが、運悪く今回は老朽船にあたってしまって、設備は良くなかった。まあ、それに文句をいう雪城さんではなかったけれど。
 1750、定刻にフェリーは神戸港を離岸した。
明石大橋とか、綺麗だろうねえ」
 僕がそう言うと、雪城さんは明かし大橋に関する薀蓄を色々語りだした。僕は嬉しかった。
 だって、昔の雪城さんみたいに何の屈託も無く笑顔を向けてくれるのだから。
 もうすぐ世界が滅ぶなんて―嘘みたいだ。