台風が通り過ぎて、またぎらぎらとした夏の日差しが戻ってきた。
 陽が傾いてから僕は、いつものように知世ちゃんを外に連れ出した。夕涼みという奴だ。
「自殺というのも存外面倒なものですわ」
 また知世ちゃんが死について話し出した。以前はそれを咎めることもあったが、今は彼女がしゃべるのに任せている。
 そうなってしまったのはいくつか理由があった。
 一つには、いくら言い聞かせても彼女はそれを語るのをやめなかったこと。もう一つ、僕にもすこしばかり興味があったこと。
 けれど一番の理由は、知世ちゃんがとても楽しそうに、嬉しそうに「死」について語るからだ。普段はまるで意志を持たない人形のように唯々諾々と他人の求めに従うだけの彼女が、昔の輝きを取り戻すのが、こんなことだなんて。僕の心は倒錯した喜びというか、狂える怒りというか、なんとも言えない風に乱れていく。
「死のうって思いつくのは誰でも。そう、誰でも出来ますの。例えばそう、さくら、ちゃん、だって」
 知世ちゃんは、さくらちゃん、と声に出すときはいつも途切れ途切れに、血を吐くように言う。そんな思いをしてまで彼女は、無理矢理にでもさくらちゃんと死を結び付けようとするのだ。
 さくらちゃんと、死。いつも知世ちゃんはその二点しか話していないような気がする。
 高台から下界を見下ろすと、わざとらしい造成地の町並みが整然と広がっていた。それは美しく、そしてよそよそしい世界だった。夕焼けの赤さがいっそう不吉さを増している。
「涼しいね」
「―ええ。それでですね、自殺の方法としては薬物、窒息、飛び降りなどの―」
 僕の言うことなどまるで聞いてはいない。丹念に丹念に、彼女が文献やインターネットその他で調べ上げた自殺やら解剖所見やら体験談やらの話をする。
「ですから、お薬は確実とはいえませんの。もっとも、古い種類の睡眠薬などですと事情はすこしことなりまして…」
「知世ちゃん」
 僕は何とはなしに問いかけた。後から考えると随分不躾で、酷いことを言ったと思う。
「それなら、僕と一緒に死んでくれるかい?」
 知世ちゃんの言葉はそれきり止まってしまった。10秒ほどの間があって、知世ちゃんの方を見てみると、彼女はがたがたと、目に見えるほど大きく震えていた。
 僕が彼女の肩に手をやろうとすると、まるで彼女は僕によりかかるように倒れこんだ。
「知世ちゃん?どうしたの、疲れたの?」
 しかし彼女は僕には答えず、ただ僕のシャツのすそを掴んで、がたがたと震えるだけだった。
「死は、恐ろしいですわ、なにもなくなるのは、いなくなるのは恐ろしいですわ。さくらちゃん、さくら、ちゃん」
 呟き続ける彼女を、僕は抱きとめることも出来ずただ倒れないように支えてあげることしか出来ない。
 
 僕はあまりにも無力だった。