2人だけの科学部(その14)

 ワンボックスの軽自動車。それほど整備されているとはいいがたい山中の県道を、それなりのスピードで走らせる。
 さすがに行きはおっかなびっくりだったが、何時間も運転していれば慣れも出てきた。交通法規は原付と同じだし、オートマ仕様のホンダ・アトレーはほとんど遊園地のゴーカートのようなものだった。少し、楽しくすらある。

 雪城さんはラジオのつまみを何度も調整し、時にノートPCに向かって情勢を把握していた。この時間帯ならAMラジオは音楽番組か、お笑い芸人の深夜ラジオになっているはずだが現在ラジオはすべての娯楽番組を中止し、報道番組に切り替わっている。
 暗い車内のなか、ぽう、と光るノートの液晶の明かりで雪城さんの表情が淡く照らされる。彼女は状況の推移に満足しているのか、真剣な面持ちに若干の余裕を湛えていた。
「あと5キロで県境よ」
 疲労を感じさせる声音。先刻、2時間に200mgまで、と彼女が指定したカフェインを飲み下したところだ。興奮とあいまって眠気は感じなかったが、修羅場を越えた安堵感で疲れが出ているのは彼女も同じなのだろう。
「逃げ切ったかなあ」
「拍子抜けね。検問にかかった時のために荷台に細工までして、偽造免許証に変装。そこまでして何の障害にもあたらないなんてね」
「全くだよ。何だよ俺の格好。地元のヤンキー、農家の親の軽トラで彼女とデートなんて」
「あら、存外似合うじゃない」
「雪城さんは似合わないね」
 彼女は彼女でなかなか痛々しい格好をしている。髪を染め、けばけばしい衣服。
 俺たち、どこぞの誰かみたいだ。考えかけて、やめた。
 まるで美墨なぎさと藤村みたいじゃないか。
 そうかしら、などと雪城さんは毒々しいマニキュアに染められた自分の爪などを見やった。その腕がすこし血に汚れている。舌打ちをして、雪城さんはハンカチでその血を拭った。






 未明に起きた北陸自動車道親不知および風波トンネルで起きた事故の現在までにわかっている被害。

 人的な被害は死者・行方不明者合わせて二十数名以上。重傷者は百名を越え、軽傷者を含めた全体の負傷者の数にいたっては見当もつかない。
 また北陸自動車道朝日−糸魚川間の通行止めは現在も継続中。午前二時、富山―柏崎間に通行止めが拡大。
 さらに一時間後政府が声明を発表。テロリストの破壊工作の懸念。
 








 二十名以上の死者のうち、四人は僕が殺した。死者の数はさらに増えるだろう。トンネル火災まで起きるとは思わなかったのだ。これはもはや歴史にのこる惨劇となった。その惨劇を演じたのは、僕と僕の隣にいるこの華奢な様子の少女のたった二人。しかし政府の見解は少し異なっていて、大規模なテロリストグループによる高速道路の襲撃、としている。
 無論犠牲者の数より彼らの関心を惹いているだろう物質について何があったか彼らは把握しているだろう。しかし公に公表などできるものか。
 その気になれば小国でも核兵器に転用できる核燃料、それも人類史上最悪の物質であるところのプルトニウムをふんだんに使ったMOX燃料ペレットを大量に奪われた、という事実を。

 六ヶ所村から敦賀の”ふげん”と”もんじゅ”に運び込まれるプルトニウム―正確にはウラン・プルトニウム混合酸化物、いわゆるMOX燃料を運ぶルートは大まかに分けて5つ。
 海上輸送ルートが二通りと、太平洋側を通るルート、経路の中ほどを鉄道貨車に搭載され運ばれるルート。そしてもう一通りが日本海沿岸を南下するルート。雪城さん曰く「北陸ルート」だった。
 細かな変更はその都度なされ、これまでに通ることのあったルートは百を軽く超えた。だが雪城さんは地形状の制約から襲うのであればここであると目をつけていたのだとういう。
 毎回5から10のチームが編成され、別々のコースを通ってその危険物を運搬する。
 もちろんすべてのチームに核燃料が持たされるわけではなく、警護に従事するものたちにも、自分たちが例の物質を運んでいると知らされるわけではない。ただ全部の部隊がそれぞれ、毎回自分たちがアレを運んでいるのだと。そういう意識付けはなされるようになっていた。

 親不知子不知は古くから聞こえた北陸道の難所で、高速道はいくつもトンネルを掘り橋をかけ完成している。海に山塊が押し寄せ切り立った断崖を形成しているのだ。そしてその難所を越える途中で、何度か息継ぎをするように地上に顔を出す。その地形状の制約からは交通線は逃れることができない。事実雪城さんが選んだ地点というのは高速道、鉄道、一般道が束ねられ、さらに北陸新幹線もほぼ同じ箇所に建設中であった。

 トンネル壁面に仕掛けられた爆弾は雪城さんが目視で起爆させたのだ。折からの強風による規制で50キロの制限速度を守っていた輸送隊―社名を書き入れていない警備会社の乗用車2台、ワンボックス2台に挟まれる形で護衛されてきたトレーラーはトンネルの間で孤立した。トレーラーが通過すると同時に一つ目、風波トンネル西側を爆破、後方の護送車を寸断。そしてやや遅れて今度は2台目が通過するすれすれのタイミングで親不知トンネル入り口を爆破。
 トレーラーは実に見事な操作で停止した。さらに雪城さんが陽動のために各所に仕掛けた爆薬を遠隔起爆させると、その轟音につられたのかあわてて数名の乗員が降りて外の様子を伺った。
 彼らを僕たちは殺戮した。この殺戮については雪城さんと事前の取り決めがあった。彼らが銃器で武装していたら不意打ちで殺す、と。その取り決めは忠実に履行された。
 彼らはみな肩からスリングで機関銃を吊っていたからだ。警察官でも自衛官でもない彼らが、銃器で武装。それは現実感に乏しい光景だった。
 閃光手榴弾で無力化した後、ためらいもなく僕たちは蛮勇を奮った。なぜあの時ああも無慈悲になれたのかは自分でも理解ができない。不幸な警備会社の連中は彼らの持っていた火器に比べると恐ろしく旧式で、そして大きな威力を持つ自動ライフルで挽肉にされてゆく。いかに僕が銃の扱いに不慣れでも、近距離で銃弾をばら撒けばいやでもあたる。
 雪城さんがトレーラーの運転席に一弾装分ライフル弾を打ち込むと、それが戦闘の終焉だった。

 6名の死体を確認し、指揮者と思われるもののポケットから鍵を奪う。
 トレーラー上のコンテナから禍々しく青く光る物体を引き抜いた雪城さんは愉悦の表情を浮かべた。円筒状のシリンダーは透明の強化ガラスか何かに覆われ、内部が透けて見えた。内部には何本かの細い金属の鋼管のようなものが見える。
 
「最高よ。最高。最高だわ」
 青白く照らされる雪城さんの頬は明らかに上気していた。
 だがその鑑賞会は数秒と続かない。70リッターの容量を持つ登山用のアタックザックにそのシリンダーを詰め込むと、僕はそれを背負った。
 ずしりと重く、そして。
 すこし生暖かいそれを背負った。橋梁の下にある道路までのスリリングな懸垂下降。ザイルの結び方まで雪城さんは知っていて、それを僕に施してくれる。
 成功した雪城さんは上機嫌で、まるでだんな様にネクタイを結んであげているみたいなどと、日ごろの彼女に似つかわしくないことを言った。彼女が今着ている厳つい迷彩服もまた、似つかわしくなどなかったが。




 全く持ってあっさりとことがすんでしまった。二人ともかすり傷ひとつ負っていない。そしてアトレーの荷台の下に隠した世界でもっとも危険な物質は僕たちの手の中にある。
「雪城さん、しかしあの後よく検問に引っかからなかった」
 なんのけなしの会話。今まさに、日本の動脈の一つを完膚なきまでに寸断し(陽動として東へ抜ける国道以外のすべてを破壊したのだ、被害額はいくらになるだろうか)、人を直接で6人(僕が4人、雪城さんが2人)、巻き込まれた不幸な犠牲者を含めると相当数の人を殺してしまったのだが、なぜだかそうした実感がわかない。
「雪城さんの言っていたとおりだった。相手の対応が遅かった」
 核燃料の輸送は、輸送経路になっているということ自体が秘密であり、そもそも輸送しているという事実自体が隠蔽されている。付近の住民は年に何度も人類を百回殺してお釣りの来る毒物が自分のそばを通っているなどと夢にも思っていない。
「間の抜けた話だ。僕たちじゃない誰かが同じことをする可能性だってたくさんあるのに。道路の寸断、それ自体でも十分高価値な標的だよね。誰が悪いんだろう。政府、警察、電力会社、土建屋…バカな話だ」
「帰ったらとりあえずシャワーを浴びたいね。まだ油断はできないけれど…雪城さん?」
 車のエンジン音とラジオの音にまぎれて、すやすやと安らかな寝息が聞こえてきた。なんだ、眠ったのか。僕はそうつぶやくとラジオのつまみをまわして切った。なにかブランケットのようなものがないかと思ったのだがありはしない。
 運転に精一杯だったが、ちらりと雪城さんの寝顔を盗み見た。あまりにも無防備で安らかな寝顔に、一瞬僕は彼女が死んでしまったのではないかと不安になった。
 それほどまでにあれがほしかったのだろうか。プルトニウム、まだ精製したわけではないが。そしてあの悪魔の物質を手の中に置くことが彼女の精神の安定に大きく寄与していること。これは疑いない。
「光の…」
 どきりとする。雪城さんの寝言だった。
光の園へ。闇を振り払うには大きな光が。そしてみんなを光の園へ。なぎさを、九条さんを、クラスのみんなを救うことが私の使命…」
 またあの寝言だ。雪城さんが僕を責め立てているときや、朦朧としているときに発する寝言。しかしいつもそうしたときはとても苦しそうに言うのに、今日に限ってはさほどではない。むしろ穏やかだ。
 闇を振り払う大きな光、か。
 僕はただ今現在、彼女が受け続けてきた不当な苦しみが減ぜられたことに喜びを見出していた。
 そして長かった夜が明けた。



 太陽がまぶしかった。