わたくしがこうして語りだしますと、村田さんのコレまでの創作物などから察しますとなんだか最終回みたいですわ。けれどもそういうことはございません。ええ、決して。これは村田さんの物語で、大道寺知世のお話ではございませんもの。ええ、ええ。わたくしのようにすこしいいところに生まれたからといって(本当にささやかなものですけれども)、ちやほやされた挙句高潔ぶって、善人ぶっていたものの人生など語るようなものではありませんし、私としても心苦しいのです。けれども、わたくしはこうして書き記します。これは、義務なのではないかと思うのです。ただ、全てに触れること、一切を思い出すことはわたくしには出来ません。それは勿体付けているのではなく、決してそうではなく、なんだかすこし前のことを思い出そうとすると私の頭はなんだか霞がかかったようにぼやけてしまって、訳がわからなくなるのです。お薬を減らしてもらったからかしら、最近はすこしましになって来たのですけれども、わたくしの記憶はすこうし、こんがらがっています。
 
 たとえば、栗色の髪の闊達な美少女のことを、わたくしは存じ上げません。おかしな言葉ですわ。けれども、確かにわたくしは知らないのです。ただ、その少女のイメージをなんとなく思い浮かべて、そう、お名前が、さくらちゃん―ああ、だめですわ。だめですわ。わたくし、それだけで気が狂いそうで。ああ、どうしてさくらちゃんはそんな酷いことを、わたくしに。
 
 こんな風にして、きっと、めちゃくちゃなことを、本当にめちゃくちゃに語ってしまうことでしょう。不快に思われた方は、ごめんなさい。けれどもこうして何か書き出さずにはいられなかったのです。ああ、芸術を求めるパアトスがわたくしの心の中にあるのなら。きっと美しいあの少女のたおやかで、そしてためらいのない仕草や言葉を真っ先に書き出すのに。わたくしにはそれさえままならないのです。