背筋を痛めた。
「なんか、肩甲骨の曲がってるところ。そう、そこ、そのあたり」 
 ともよちゃんが僕の背筋をためらいがちになぞる。
「そこがね、その、”クキャ”って」
「まあ」
 ともよちゃんがおびえた声を出した。
「一体何をなさって…」
「いや、バーベルスクワットなんだけど、ちと鬱憤晴らしにむちゃくちゃなフォームで超高重量にトライしてみたんだよ。そしたら”クキャ”って」
 ともよちゃんは耳を押さえてへたり込んだ。どうも”くきゃ”という音感がよくないらしい。なんだかいじめているような気になって、ごめんごめんといいながらともよちゃんに微笑んだ。
 おびえながら、ともよちゃんが言う。
「それで、痛みはありませんの?」
「うーん。正直、ちょっとつらい。立ってるのがやっと」
「まあ」
 最近はこうしたことでも素直に言うことにした。お互いを気遣って痛みを隠したり(比喩的な意味も含めて)、そうしたことがかえってお互いのためにならないと、悟った。もっとも、ともよちゃんはそれでも何かを時々こらえているような表情をしていて。
 そうして、その表情がなんともいえない美しさを持っていて。少女の憂いの表情がこんなにも美しいものだとは思わなかった。僕は美というものにあまりに無頓着だったかもしれない。だからいつもともよちゃんを見ているとはっとする。
「薬屋さんでインドメタシンの塗り薬を買ってきたんで」
「貸して下さいな」
「いや、僕が使うんだ」
「ですから、貸して下さいな」
 通勤用の鞄から包みを取り出す。ともよちゃんは細長い箱の中から歯磨きのチューブのようなものを取り出して、キャップを緩めた。
「さあ、上着を脱いでくださいな」
 僕はやっとわかった。ともよちゃんは僕の背中に薬を塗ってくれるというのだ。
「その、じ、自分でやるよう」
「何をおっしゃいますか。さあ」
 ともよちゃんは頑として譲らない。やむなくカッターを脱いで、ともよちゃんに背を向けた。
「はい、バンザイですわ」
「えっと。脱がなきゃ…駄目なの?」
「もちろんですわ」
 あまりにも屈託がなくて、僕は恥ずかしがっている自分がとても情けないものに思えた。
「ごめんね」
 なぜだか謝罪の言葉が出てしまった。と。
 ぴしゃり、と手のひらが患部に叩きつけられた。痛みというより冷たさで、ひっ、と情けない声を出した。振り向くとともよちゃんが笑っている。
「悪くないのに謝る人には、おしおきですわ」
 今度はそっとともよちゃんが僕の背中に触れてきた。
「そうだね。有難う」
 僕はなんて邪まなんだろう。そのことを指摘されたようで、ちょっとなさけなかった。

 今日は早めに眠ることにした。あまりそれまで意識していなかったんだけれども、怪我をしたことで精神的に自分でもショックを受けているとわかった。ともよちゃんは遅くまで起きていて、なんだか勉強をしているのか、僕が眠るまで机に向かっているようだった。