大人の事情、とやらに痛めつけられ押し流されたわたくしの人生は無残なものとなりました。突然の新聞発表。2度目の不渡り。大道寺コーポレーションのあっという間の崩壊。けして予期せざるものではなかったのです。株価は市場に悪いうわさが出たとたんに桁の数が1つつづ減っていきました。
 倒産。しかしげんにそれが起こってしまいますと、その恐るべき大破局ともうしましょうか、その奔流になすすべもなく、わたくしはお母様とも離れ離れ、うまく弁護士その他の方が立ち回ってわたくしは大道寺コーポレーションとは無関係ということになりましたけれども、ほとんど無一文で世間に投げ出されることになりました。
 いまお母様はどこにいるのか、詳細は不明なのです。風の便りに聞いたのですが、いかがわしいところで労働を強いられていると聞きました.もはや親子ではないと世間には申し上げておりますが、お母様の心労をおさっ致しますに大変心苦しく、そうして、貧しい、ということがこんなにも恐ろしいものだと、そのことがいっそう恐ろしくわたくしの胸を締め付けるのです。

 生きているのが、つろうございました。正直に申し上げます.この一年あまりというもの自らを殺めようと、そのことばかりを考えておりました。
 自分が甘やかされて育てられ、そうしてすこし世俗的なつらさの中に身を置いたとたんに世をはかなんで。ああ、なんともろく、そうして甘えた女なんだ、そうお考えになる方もいらっしゃることかと思います。それは、そのとおりかもしれません.まったく、一切否定できるものではありません。
 けれども、あの私立中学校の培養されるかのごとき純粋さの中から放り出されて、普通の学校に適応するということは非常な困難を強いられたのです。
 わたくしは、その新しい学校で、犯されました。その事実だけ、書き記します.詳細について記述することは耐えがたく、こうして最低限の事実を記述するだけで腕も、体も震えるようです。そうして、わたくしの心は長く立ち直ることが出来ず、薬物の摂取でかろうじて精神の平衡を保っていたのでした。