あのころのわたくしは、まるで地べたを這いずり回る虫か何かになってしまったようで、いつもどす黒い焦燥感や憂鬱さに悩まされ、そうしてただひとり、おいおいと泣いていました。いいえ、泣く力すらなかったのです。無表情に、ただ時の過ぎるのをじっと耐えるだけ。けれど心の中はいつも悲しみに満ち溢れていました。
 青白い、澄み切った深山の湖水のように美しい、そして張り詰めた憂鬱の世界。わたくしはあっという間に疲れ果てて、そのこころの中の湖の中に身体を沈めてゆくのでした。冷たい水が心地よく、身体も心も痺れるようで。わたくしはいつのまにかその世界になじんでしまったのかもしれません。今でもそのときのことを思い出すに、時折甘美な幻想めいた何かに取り付かれ、そうして「これではいけない」と、こっけいにも首を振り、またあの人の前では小首を傾げたりしながら。あの人に気を使われたりからかわれたり。そんな、毎日を過ごしているのです。
 
 
 あの人。
 わたくしとあの人とのかかわりはその始まりからして、とても奇妙なものでした。あの人が一体なんであるのかは、わたくしも存じ上げないのです。このようなことを申し上げますと、わたくしがとてもふしだらなおんなの様に思われるかもしれませんがわたくしはそのころとても疲れきっていて、庇護を受けられるのでしたらいっそどのような目にあっても、どんな扱いを受けても、などとやけっぱちになっていました。
 そうして、私のこころは例の湖の底にいるように冷たく凍り付いていて、いっそ酷い目にあえばいい、そのほうがわたくしは楽だ、などと考えていました。 
 不思議な男性だと思います。私には彼に親切にされる覚えなど一切無いのです。私ははじめ疲弊しきったこころで彼のことをぼう然と認識し、そうしてすこうしだけ回復したときに、彼という存在をはっきり認めました。
 あの人もまた、病んでいたように思います。出会ったころには気が付きませんでした。わたくしがあのむごい状態から立ち直るにつれ、少しずつわかってきたのです。しかし、彼もまた病んでいるなりに自分の生き方と世間との折り合いをつけようと一生懸命でした。
 同病相憐れむ、などと下世話な慣用句で言い表すような、そんな関係だったのかもしれませんが、そのことを別段醜いなどとは思いません。以前のわたくしなら、そうした傷の舐めあいなど軽蔑の対象だったでしょう。けれども、今ようやっと、そうした人々の営みのようなものが、わかってきたのです。ようやっと、わたくしの傲慢さを理解できたのです。わたくしは、あまりにも無知でした。
 
 
 会社組織の中で過ごすということをわたくしは存じ上げません。けれどもそれが苦痛に満ちていることは容易に想像がつきました。世の中の大多数の人が抱えている悲劇でありながら、誰もが決して切実な形では表には出さない。社会というものは陋屋だと、わたくしは抑鬱の中で考えていましたが、彼は口には出さないまでもそう感じていたのでしょう。会社から帰るといつも疲れきっており、そうして決まって、「今日は身体を動かしすぎて…」などと言い訳をするのです。
 彼の疲れが肉体的なものではなく、精神的なものであることはわたくしが落ち着くにつれ、すぐに感じ取れました。時折、とてもおかしなことを言い出すときがあり、そうしてその”おかしなこと”があまりにも意味不明で、そうしてそれだからこそ。
 悲しくなりました。
 わたくしたちはお互いに依存しあう、非常に危うい関係であると思います。けれどもそうしなければ生きてゆけないのです。