ランファさんがトランスバール病院神経精神科に入院してはや2ヶ月がたちました。今日のお見舞いは私一人です。今では中佐が時々様子を見にくるくらいで。
 いいえ、みなさん、そんな冷たい人たちじゃないんです。けれど、ランファさんが受けたこころの傷のことを考えるとみながそのおぞましさに耐えがたく、そうしてそのことに触れようとしないあの空気が耐えがたく、誰も私のお見舞いについてこようとはしませんでした。
 どうもフォルテさんは格段に堪えているようです。最近はシュートレンジでひたすらにてっぽうばかり撃っています。不快なことがあったときの、あの人なりのストレス解消法でした。


 
 
「あらあ、ミルフィーユ、げんきそうじゃなあい」
 明るいランファさんの声が病室から聞こえました。ランファさんには個室が与えられていて、時折法務関係者が出入することもあって、突然面会禁止になることもあるのです。
(ランファさんに罪は無い。こんなに傷ついているのにランファさんをこれ以上苦しめないで)
 私は病室のランファさんに向き合いました。いつも、この瞬間だけは、つらいです。本当に、かなしいです。
 ランファさんは、痩せました。食事が取れないのだそうです。何とか点滴で持たしているそうですが、どんどんと衰弱していて、発達した筋肉はやせほそり、ふくよかな頬もすこし、こけていました。それでもランファさんは笑っているのです。それが虚構の笑いなのか、それとも苦しみぬいた果ての笑いなのか、私には判断がつきません。
「らんふぁさん、おげんきでしたかぁ〜」
 私はいつもみたいにお馬鹿なふりで。本当は、もうお馬鹿を演じる余裕なんてこれっぽっちも残ってはいなかったのです。けれど、ランファさんのあまりの心の痛みに比べれば。私の苦悩など。
「今日もケーキ焼いてきたんですよぅ、ランファさん」
「ありがと、ミルフィーユ」
 満面の笑みで私を見つめるランファさん。勿論ケーキなんてのどをとおるわけが無いのです。ただ、私に合わせてくれているだけ。
 お芝居。
 こっけいな、喜劇を演じているよう。




 2ヶ月前のことです。ランファさんは民間人を8人、殺しました。反乱軍がトランスバール本星まで攻め込んできて、一部では陸戦になりました。エンジェル隊紋章機で上空援護を担当していましたが、ランファさんの機体はトラブルで地表に墜落してしまったのです。

 ランファさんの墜落した先は衛星通信回線の交換所でした。そうして、そのタ交換所には反乱軍が圧倒的な戦力で迫ってきていたのです。 その交換所は小さな敷地に8人の女性が詰めているだけでした。
 思案のあげく、ランファさんは投降を考えていました。しかしそのことを口にしたとき、その交換所の所員は頑として首を縦に振りませんでした。
 悪名高い反乱軍は、ここを襲撃し、そして私たちの女性としての尊厳を踏みにじるだろう。性的に卑劣な行為に及ぶだろう。
「そんな惨めな思いをさせないで下さい」
 そう。ランファさんは頼まれたのです。彼女たちを楽に死なせる、という役目を。ランファさんは軍人です。自分ひとりなら戦って死ぬことを考えました。そのための決意だってもっているんです。しかし彼女らは。
「ねえ、中尉さん、お願いします」
 見ればまだ10台、そうランファさんととしの変わらない少女たちなのでした。柔和に、あくまでやさしくランファさんにお願いをします。きっとランファさんのこころの負担を軽くするつもりだったのでしょう、全員が笑っていました。
 ランファさんは−彼女らの希望に従いました。ランファさんは、まじめすぎて、そうして、本当に思いやりのある人だったんだと思います。私ならそこでがたがたふるえているだけで何も出来なかったでしょう。
 
 
 しかし、運命は皮肉でした。ことが終わった後、交換所に飛び込んできたのは反乱軍ではなく、味方のトランスバール皇国軍だったのです。彼らによるとそのときのランファさんは遊低がスライドした拳銃の引き金を床に向かって引きつづけ、けたけたと笑い声を上げていたそうです。床の上には若い女性たちの血の海。全員が額をうちぬかれ、即死でした。
 皇国軍の兵士もあっけにとられたそうです。まるで、きちがいが−。いいえ、ランファさんはその日を境におかしくなってしまったのです。救出されたランファさんは、もう元のランファさんではなくなってしまいました。そうして、私たちエンジェル隊も、もうもとのようになることは無いのかもしれません。

 
「うふふ、それでですね、中佐がね、ランファさん」
 ケーキをおいて、ランファさんとお話をしました。ランファさんははじめいつもみたいに(いつもって、いつのことだろう)にこにこと聞いていましたけれど、急に黙り込んでしまいました。
「ランファ、さん?」
「ほっといてよっ!バカッ!」
 突然のかんしゃく。お医者さんが駆けつけ、あわただしく薬が注射され、ランファさんは眠ってしまいました。
 あの日以来、ランファさんの精神は極端に浮き沈みが激しいのです。時に自分を責めて、時に攻撃的になって。軍事裁判は、責任能力無しということで無罪が確定しそうです。精神病が認められないと、民間人の命を奪ったことの違法性が阻却されるか微妙なところだったので、これはたすかったのです。
 けれど、どうしようもないところが、決定的に狂ってしまいました。ランファさんのこころ、何の罪も無い同年代の少女たちを自分の手にかけてしまったことが永遠に彼女を責めさいなむのです。
 
 
 
「だからいっただろう、傷口を広げるだけなんだ、あたしたちが行ってもさ」
 病院の外でフォルテさんが待ってくれていました。
「あたしだって会ってやりたいよ。でもねえ」
 フォルテさんもずいぶんと寂しそうでした。やっぱり、フォルテさんとランファさんはたんなるけんか友以上の何かがあったのかもしれません。


「ところでミルフィーユ、6番目の紋章機パイロットだが…」
「わかってます、フォルテさん」
 私はそれだけは受け入れられない。ランファさんの代わりなんて、エンジェル隊には不要。私はその顔も見たことが無い6人目のエンジェル隊員の不幸を願いつづけました。ランファさんの帰るところは、絶対に無くさせたりしない。きっとランファさんは戻ってくる。だから、それまでは。
 
 エンジェル隊の基地へ戻る軌道エレベーターのなかで、私は一心に祈りました。ランファさんの回復と、新隊員の不幸を。私が、他人の不幸を祈る。わたしもずいぶんと変わってしまったような気がして、悲しい気持ちになりました。