大道寺知世の手紙(5)

 静かな毎日が続いています。あなたはいかがお過ごしですか。お風邪など、お召しになられていられませんでしょうか。わたくしは随分と気分も楽になって、朝目が覚めると以前に比べるととても気分がよくて、とても新鮮な気持ちになります。
 病院の金網越しなのですけれど、冬の寒々とした景色の中で葉を散らした木々が吹き付ける寒風に耐えながらじっと春を待っている姿を見ると、なんだかとても言葉に出来ないような気持ちになって。どうも、美しく感じるようです。本当に、外の世界がこんなに美しいなんて思いもよりませんでした。
 ずっと世界は苦しみに満ちていると、そう思い込んでいました。けれどこうして静かに時を過ごしていると実はそうではない、本当は美しさに満ちている、安らぎを感じることが出来るのだと、そういう風に思うことが出来るようになりました。
 わたくしはずっとあなたの助けを借りて、もう大丈夫と思って動いて、そのたびに挫折を味わいました。そのたびに本当に立ち直れないと感じました。
 でも一度、二度の挫折で駄目になってしまってはいけないんですね。何度も何度も駄目になって、そうして、また頑張ろうとやり直す。そうやって生きていくしかないんですものね。
 あなたが、私に対して意図的に避けてきた言葉を言います。
 私、頑張ります。
 あなたが私を気遣って、頑張る、という表現を避けてきたこと、よくわかっています。でも、わたくしはそういいたいのです。もう一度。いいえ何度でも、この苦しみからはいあがって。そうして、そうして。
 あなたの元で本当の意味で笑いたい。こころのそこから、あなたのために笑顔でいたい。そうしてあなたの笑顔を、あなたの傷つきやすい心を守って差し上げたい。本当に、そう思います。
 
 
 佐々木さんのこと、すこうしずつ、わかってきました。佐々木さんは、小学生のころ、学校の先生と交際があったそうです。それは教師と教え子ではなくて、本当の恋人としてのものだったのだそうです。
 今日、佐々木さんは投薬が変わったとかで、抑制が効いていませんでした。なんだかけたけたと笑ったかと思うと、急に怒り出したり。そうして、何かどんどんとわたくしに話しかけてくるのです。談話室の椅子に腰掛けて二人で向き合っていると、他の患者さんはほとんど興味を示しませんでした。おひとり、こちらのほうをじっと見ているような中年の車椅子の男性がいましたが、その方をようく見てみると私たちの方ではなく、その延長線上のテレヴィに目が釘付けになって、瞬きもしていませんでした。
 こんな下世話な話まで聞いてしまったことを、どうか軽蔑しないでください。半ば狂躁状態におちいっていた佐々木さんは話し出すと、文脈もむちゃくちゃに話を続けたのです。ですから、聞かざるを得なかったのです。
 彼女が小学生であったのにもかかわらず、その先生は彼女と性的な関係を持ったのだそうです。そのことが倫理的に許されるのか、私には判断がつきません。佐々木さんは仮にも小学生なのです。愛があれば、などとそれこそ下世話なことも申しますが、けれどもいくらなんでも、そう思いました。
 佐々木さんはその相手の先生――寺田先生、という方のことを、夢を見るように語り続けました。そうして、わたくしがすこし赤面するような、刺激の強いこともはなしてきました。
 2時間くらいでしょうか、佐々木さんの話はほとんど性的なことに終始するようになっていました。私が耳を疑うようなこともしていたそうで、すこうし、恐ろしくなりました。
 私は性的なことにはすこし個人的に嫌悪感があって、それはあなたならわかっていただけると思うのですけれども、佐々木さんはとてもみだらにその様子を熱病に冒されたようにしゃべり続けるのです。
 そんな中睦まじい彼女達がなぜ引き裂かれたのか、その経緯については語っていただけませんでした。ただひたすら、楽しかった思い出、そうして性的なつながりの話。そうしたことを話してくるのみで。
 私はすこうし、おそろしくなりました。
 佐々木さんはその先生との思いでにとらわれたままずっと生きていくのでしょうか。そうだとすれば、それはあまりにも切ない話だと思います。
 佐々木さんはしばらくして、すこしそう状態になっていることを看護師さんに見咎められ処置室のほうへ連れて行かれてしまいました。その日、佐々木さんは帰ってきませんでした。
 
 そのあと、すこしこころに引っかかったのです。佐々木さんと先生。佐々木さんが慕っている先生。何かが私のこころの中にしこりのように残ってしまって。一体どうしたんでしょうか。なぜか、そうした二人のかかわりをむかしから知っていたような気がします。何かの錯覚なんでしょうか。 
 
 とにかく、話し相手も行くなってしまって、私は自室に戻りました。寂しいですけれども、佐々木さんの健康が第一ですから。明日にはお薬の調整がうまく言っていることを祈るだけです。
 
 
 
 いただいた本、すこし読んで見ました。新田次郎さんの山岳小説というのは、これまで思いもよらなかったジャンルの小説なのでとても楽しみに、読み始めています。すこうし、読んでみただけなんですけれども、なんだか朴訥な主人公に好感が持てます。いっぺんに読んでしまうともったいないので、少しずつ読もうと思います。
 では。また。わたくしは元気にしています。どうか、心配しないでください。
 
 
 
             ともよ