もう、二月も半ばを過ぎてしまいましたね。バレンタインデー、何も差し上げられませんでした。いつものお礼に、と思って去年からチョコレートを作って差し上げようかといろいろと考えておりましたのに、本当に残念です。手作りといっても、本当に簡単なものですけれども。
 退院してから作って差し上げてはおかしなものなのでしょうね。やはりこうしたものは当日でないと意味がございませんもの。
 ああ、でも。来年、再来年とこれから何度でも機会が与えられるのだと考えることをお許しください。
 いろいろと励ましていただいて、有難うございました。本当のところ、もう私は学校のほうも一年遅れることもほとんど確定してしまいましたし、心の奥底であせりや不安があったのです。ですから、あなたの言葉のひとつひとつに涙が出るような思いで、本当に助けられています。
 
 
 佐々木さんの様子がおかしかったのはあのとききりで、昨日、今日と随分落ち着いた様子でした。取り乱したときにわたくしに話した内容はすっかり忘れてしまっているようで、今日は彼女は一日編み物を一生懸命やっていました。どうにも、ここにいると季節感がなくなってしまうようです。佐々木さんは大きめのマフラーを編んでいたのですけれども、出来上がるころにはすっかりあたたかくなっていそうです。ただ、一心にマフラーを編み上げていく佐々木さんの瞳を見ていますと何も言えなくなってしまいました。
 わたくしはいつものように談話室で彼女の対面の椅子に腰掛け、そうして本を読んだりこうして手紙をしためたりしながら彼女の様子を伺っていたのです。最初はなんの気なしに、何を編んでいるのか、とかそういったことを推し量っていたのですが、そのうち彼女の表情のほうに気が行きだしたのです。
 幸せそうで。そう、彼女はあまりにも満ち足りた表情をしていたのでした。
 彼女がしている行為に触れることは、なにかとても重大なことを引き起こしてしまいそうで。わたくしは彼女が話しかけてこないことを幸い、こちらから話しかけることもせず、さりとて気もそぞろにぱらぱらと読みかけの小説のページなどをめくったりするのです。そうして、ちらちらと柔和な微笑を浮かべながら編棒を動かす彼女を見ていました。
 彼女は、無垢なのだと思います。
 私には、そのような年で教職員とみだらな関係におちいったりすることをひそかに軽蔑しているところがあったのかもしれません。それはその教員に向けられたものと思っていましたが、それだけではなかったのかもしれません。
 そうして、今日の彼女を見て、そんな私のこころのありようを恥じました。病んでるとはいえ、彼女の献身は事実なのだと思います。いいえ、純粋で懸命だからこそ病んでしまったのだとしか、申し上げようがありません。身体の穢れであるとか、そうした愚かしく差別的な何かすらわたくしの中にあったのかと、そう思い、こころの貧しいわが身が悲しくすら思えました。
 純粋なこと、懸命なことは罪悪なのでしょうか。
 それはわたくしには判断がつきません。ただ、それが報われないのは何か間違っているような気がいたします。そんな世界だからこそ、今わたくし達はここにこうして病人として囲われているのだと、そんな風に考えてしまうことは矢張り。
 甘えなのでしょうね。わかってはいるのですけれども。どうにも、愚痴っぽくなってしまいました。申しわけありません。何しろ佐々木さんが今日は上に書いたような調子でしたので、あまり人とお話が出来なかったのです。いつもならいちからお手紙を書き直すところなのですけれども、今日はもう、このまま出してしまいます。あなたなら、こんなわたくしでも受け入れてくれると思えるからです。
 
 あなたがおっしゃったとおり、一日も早く元気になれるよう努力します。あなたもどうかご無理はなさらないよう、お願いいたします。


            ともよ