今日はとても良いことが2つ、ありました。
 まずひとつは、看護師さんにおねがいして、病院の屋上に連れて行ってもらい、外の空気を吸わせてもらえたことです。今日はとても暖かくて、日差しも柔らかく、なんだか春になったような気がして驚きました。本当に、病院の中にいると季節感が喪われてしまうのです。看護師さんと一緒にフェンスのそばまで行って、外を見ました。病院の敷地の向こう、あなたの住んでいるあたりを見て少しの間ぼうっとしていました。
 30分、という約束だったのでもったいないとは思ったのですけれども、そうやってあなたの住んでいる町を眺めるだけで、みじかい屋上での時間は終わってしまいました。この病院の看護師さんは皆さん本当に優しい方ばかりで、その間何も言わずに一緒に金網越しに景色を見ていてくださいました。
 お忙しいでしょうに、私のことはほうっておいていただいてかまいませんと申し上げたのですけれども、なにかよくわからないことをおっしゃって、わたくしと一緒に屋上にいてくださいました。
 けれどもあとになって他の患者さんに聞いた話では、飛び降りたりしないように見張っているのだ、とのことでした。
 病院の屋上の金網は結構高いのですけれども、あんなところを乗り越えて飛び降りる人がいるのだ、と思い身震いする思いでした。
 
 
 お昼ごはんのあと、そのことを利佳ちゃんに聞いてみると、なんだか利佳ちゃんは黙ってしまって、今にも泣きそうな顔になってしまいました。利佳ちゃんは小さな声で、屋上に患者が出入りできなくなったのは自分のせいで、一度危うく自分が飛び降りそうになったのを看護師さんに止められたのだ、と最後のほうはえずきながら話してくれたのです。わたくしは申し訳ない思いでいっぱいになってしまって、利佳ちゃんの背中をさすってあげることしかできませんでした。
 
 
 今日のわたくしの文章を見て、おや、と思ったかもしれません。
 今、わたくしは佐々木さんのことを利佳ちゃんと呼んでいます。昨日の事でした。私たちはいつものようにふたりで談話室で過ごしていたのですけれども、どうしてもわたくしが佐々木さん、と呼ぶのがしっくりこないので利佳ちゃんって呼ばせてほしい、と頼んだのです。利佳ちゃんも、大道寺さんなんんて呼びにくいでしょうから、ともよってよんでくださいな。そんな風に提案申し上げたところ、利佳ちゃんはすこし迷ったあとでちいさなこえで「じゃあ、ともよちゃん、でいい?」と、言ってくれたのです。わたくし、とても嬉しくて。ええ、わたくしもこれからは佐々木さんではなくて利佳ちゃんとお呼びいたしますわ、とすこし有頂天になって答えました。
 利佳ちゃんはすこし遠慮気味に、すこし恐れるようにともよちゃん、とわたくしを呼んでくださいます。そのときの表情がすこしおびえるようで、そのことが気になりますが、それでもなんだか利佳ちゃんとの距離が近くなったような気がして、嬉しゅうございました。
 ただ、不思議な気もいたします。こうしてともよちゃん、利佳ちゃん、と呼び合っていると、ますます利佳ちゃんとは初対面ではないような気がするのです。特に、女の子の声で「ともよちゃん」と呼ばれると、なんだかとても懐かしいような気がして。わたくし、どこかでいつもとても大切な人にそう呼ばれていたような気がいたします。きっと、同じくらいの年の女の子だったのでしょう、利佳ちゃんの声がなんだかとても懐かしくて。
 おかしな話ですね。呼び方ひとつでこんなに感傷的になるなんて。
 利佳ちゃんも慣れればもっと明るく私の名を呼んでくれると思います。そんなに遠くない先の話だと、勝手に思っています。わたくしも少し前向きになったのでしょうか、そんな風に考えることができるようになりました。
 
 季節の変わり目です。お風邪など、お召しになりませぬよう。




                ともよ