お忙しいところをいつも有難うございます。せっかくお見舞いに来ていただいてもお会いすることも出来ず、本当にこころぐるしいのですけれども、お礼だけは申し上げます。有難うございます。私にはこうして文字にすることしか出来ません。ほんとうに、深く深く感謝しています。
 とりあえず来週には面会の許可が出るそうです。外泊は週末になるのでしょうか。わたくしも急に聞かされたので驚いてしまったのですけれども、先生方からみてもわたくしは随分と調子を取り戻してきたように見えるそうで、今日の問診でもうんうんと満足げに頷いておられました。
 お薬もすこうし軽いものに変わったみたいです。どういったお薬なのかは教えていただけないのですけれども、なんだか昼間でもあまり眠たくなりませんし、かといって以前のように突然悲しい気分になったりもせず、本当に安定しています。こうして平穏な心でいられることがありがたく思われます。
 
 利佳ちゃんは相変わらず熱心に編棒を動かしていて、もう3月になろうというのに随分と暖かそうなマフラーを編み上げています。もうすぐ完成する、というようなことをにっこりと微笑みながらわたくしに教えてくれました。
 以前にも申し上げましたとおり、彼女は本当に慈愛に満ちた優しげな笑顔でわたくしに話しかけてくれるのです。どうすればそのような柔らかな笑顔になるのかと思います。ただ、彼女の報われない、そうして現実と乖離した行動とその表情の間に落差があって、そのことに暗然といたします。
 彼女がどうしたら救われるのか、皆目見当もつかないのです。わたくしのようにお薬で救われるものではないようなのです。
 ですから時々、彼女と相対していますと怖くなることがあります。友達がいのないことこの上ありませんが、本当に、あの絶対的なやさしさ、母性が反転してしまったらどうなるのだろうかと。想像だにできません。
 相変わらず、利佳ちゃん、と呼ばれることには抵抗があるようです。わたくしもすこし気の毒にすらなってきたのですけれども、いったんそうして気安く呼び合うようになった以上また他人行儀な呼び方になるのもなんだか釈然とせず、さりとて利佳ちゃんのこわばった顔をみるのも忍びなく、必要なときだけなんとも力ない声で利佳ちゃん、とぼそぼそと呼ぶことになってしまいます。妙なことになってしまいました。普段の会話は完全に打ち解けたようにしているのですけれども。もしかするとわたくしの一方的な思い込みなのかもしれません。
 
 すこし軽はずみなことを申し上げてしまいました。こんなにご迷惑をおかけしているのに何処か遠くへ連れて行けなどと。本当に、夏休みになったら近くの海水浴場へ連れて行ってくだされば、それで十分なのです。ほんとうに、それでとても幸福に思います。どうかお気を遣わないでくださいまし。お願い申し上げます。
 
 
 では、お会いできる日を楽しみに。本当に、わたくしも心待ちにしています。
 
                   
       
  
                    ともよ