第二日大分―別府―(やまなみハイウェイ)阿蘇―高千穂―北郷村

 とりあえず米を炊かないと。

 コッフェルに米をいれ、水を張る。
「水加減は?」
「適当」
 僕はコッフェルに指を突っ込んで、水の深さを計った。米の抵抗を感じ、さらに指を進めると底にあたる。指が何処まで潜ったかを確認して、引き抜いた。ちょっと水を足した。
「まーこんなもんでしょう」
「はあ」
「飯盒炊爨とかでやんなかったの?」
「ええと、あの時は、手のひらがお米の上に浸かる程度だと」
「なるほど。まあ、半分半分でいいよ。それより」
 きっちり1時間くらいつけておくのがコツさ、といおうとすると背後から話し声が聞こえた。若い男が2人、炊事棟の裏の山の道のない急斜面を器用に降りてくる。
「ありゃ―人がいるぞ」
 そんな声も聞こえた。来たときから軽トラが置いてあったが、どうやら彼らのものらしい。
「こんにちわあ」
 一応こちらから挨拶しておいた。
「ああ、どうも」
 ジーパンに長袖のシャツ姿の男が2人、こちらに気がついたのか挨拶を返してきた。
「今日はここに泊まるんですか?」
「どこから来たんですか」
 などと質問を浴びせられる。にこにことしているが一人はガタイがでかく、おまけに茶髪である。雪城さんがびっくりしなきゃいいけど。
「ええ―お邪魔します。僕たちは昨日大阪からフェリーで」
 おお、大阪だってよ、とかなんとか、彼ら同志で盛り上がる。
「いいですよねえ、大阪」
 何がだ、何が。
「だって、町だし」
 そりゃそうだ。
「何言ってんの。こっちのほうが良いよ。山があって海があってさあ。大阪なんてダメダメ。ごみごみしてて、話にならないよ」
 などと答えると、おお、大阪弁だ、とか、イントネーションが、とか面白がられてしまう。でもまあ、こういうとき関西弁は便利だ。会話が広がりやすい。
 なんでも2人は森林組合の者だそうだ。去年高校を出たとかで。ふたりとも陸上部の仲間だったとかで。茶髪の子は、砲丸投げをやっていたらしい。
「おお。投擲系」
「ええ」
「いいよなあ、これまで地味だったけど、室伏が出てきてから」
「そうっすよ。一応高校のときは良いトコまで行ったんですけど、怪我しちゃって」
 雪城さんを置いてけぼりにして話をする。まあ、笑ってはいるしいいだろう。
 その彼は、合コンでビビられるのが悩みなのだそうだ。
「そら、キミ。見かけが。ごつい上にヤンキーやん」
「いや、ヤクザっていわれます」
「なお悪いわ!」
 突っ込みだ、本場の突っ込みだ、などと揶揄される。喜んでいただけて何よりです。
「あんたもいい身体してますけど、なにかやってたんですか」
「高校時代、ラグビーを」
「出た!」
「なんだよ」
「昔ラグビー部の奴に喧嘩売ってボコられたんですよ。こっち1人で相手3人でしたけど」
 それはラグビーとは関係ないと思うのだが。
 
 あれやこれや、にぎやかに話をしていたが5時になると彼らは車に乗り込んで走り去った。なんでも8時から野球の試合があるとかで。彼らを見送るとそれきり、また雪城さんと2人になってしまった。
「ああ、驚いた」
「んー?」
 彼らを見送ってから雪城さんがやっと口を開いた。
「だって知らない人とあんなふうに」
「あー。相手によるかなあ。基本的に俺も人見知りするタイプだよ」
 むしろ雪城さんの方が社交性は豊かだったと思う。尤も、僕のところに来てからはまるで友達の話とかはしなくなってしまったのだが。
「ふふ。男の人同士の会話だなあって。一寸面白かった」
 ちょっとぎこちなく雪城さんが笑う。
「合コンだの喧嘩だの」
「それは今の彼の話だよ。俺はどっちも苦手さ」
 ええー?雪城さんが上目遣いに俺を見る。
 わざとだ。絶対わざと。雪城さんにそのアングルで見つめられると俺がやばい状態になることを雪城さんは知っているに違いない。
 本当だって、ふふ、そういうことに。などと。よく考えると、なんで俺は弁解しているんだ?
 
 
 
 夜。焚き火が出来そうな場所がないのでやむを得ずランタンを使って明かりを点ける。せっかくコインシャワーがあるので雪城さんと交代で使った。その夜はふたりともたわいのないことを話したが、何しろ朝が早かったのですぐに眠くなった。雪城さんはシュラフにもぐりこむことすら楽しいようで、眠気半分、笑い半分という感じでテントのなかで横になった。
「あら、今何時かしら」
「知らない。九州は夜が早いから、そんなに遅くないと思う」
「ふうん」
 思案顔。
「どうしたの」
「いえ、野球、今頃あの人たちやっているのかなあ、って」
 ああ。そうか。そりゃ、そうだろうけど。
「ねえ」
 声は眠そうだが、どういうわけか雪城さんは話をやめようとしない。
「本当は、こういうところで暮らしたいんじゃなかったの?」
「んー?」
 眠たくて、ぼんやりしてきた。ただ、雪城さんの声が少し寂しそうだったのでそればかりが気になった。
「そうだね。きっと苦労もたくさんあるだろうけど、基本的に肉体労働のほうが俺、向いてるし」
「そう」
 雪城さんは呟いて、シュラフに深くもぐりこんだ。ランタンはすでに消してある。テントのなかの懐中電灯を消すと真っ暗になった。
 
 寝入る寸前、彼女の(ごめんなさい)と謝る声が聞こえたような気がした。