第四日国分―指宿―枕崎―加世田―吹上―鹿児島―桜島―国分
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「日本最南端…」
雪城さんが呟く。JRの小さな駅だ。
「いやー、全く見事な無人駅で」
開聞岳を望む、見通しの良い平地にJR最南端の駅、西大山駅があった。
「可愛い駅」
都会育ちの雪城さんには珍しいらしい。あいにくすぐ近くを国道がとおっているので、完全な静かさは無い。おまけに駅舎らしきものも無いので落ち着かない感じだったが、それでもなんとなくひなびた雰囲気と言うか、都会の駅では決して味わえない空気があった。
色の抜けたベンチに二人並んで腰をおろす。
「うふふ。なんだかこれから電車に乗って出かけるみたいねえ。あら」
雪城さんが何かに気づいた。
それはノートだった。誰がおいたのか、駅を訪れた人が記念に書き残すようにご丁寧にボールペンまでつけてある。雪城さんはそのノートを丹念にめくり始めた。僕はホームの端までいったり、開聞岳の写真をとったり、雪城さんの横顔を盗み撮りしたり(これは取った瞬間に気が付いた雪城さんにこっぴぴどく怒られた)、線路に下りてみたり、屈伸運動をしたりとずいぶん時間をつぶしたが、まだ雪城さんは熱心にノートに向かっている。良く見てみると雪城さんもノートに何か書き付けているようだった。
「何かいてんのー?」
「記念よ」
などと、一心に筆を走らす雪城さん。
「電車来ないなー」
と、発車時刻表を見てみると、次の電車が来るのは1時間半あとだった。
海沿いにバイクを走らせる。東シナ海が左手に広がった。荷物はキャンプ場に置いてきたのでバイクが軽い。
「海ですね」
「そうだね」
都会では見ることの出来ない海や漁港の佇まいに雪城さんは喜んでくれているようだった。枕崎を越えると、観光地ムードから急にローカルな雰囲気になった。道もカーブが多くなる。
ありふれた港でバイクを降りて、港湾事務所の自販機でまた缶コーヒーを買う。
「かたくなに、ホットコーヒーねえ」
「あ、うん」
反射で買っていた。
「ごめん。なんか他ののほうが良かったかな?」
首を振る雪城さん。
「ううん。なんだか、ツーリングのときはホットコーヒーしかないって言うの、分かってきた」
小さな港の防波堤の先まで歩いてみる。と言ってもほんのわずかの距離だ。先端部で海のそこを覗き込むと、小魚がいるわいるわ、鯵だか鰯だかの大群やら、その他小魚がぐるぐると港内を廻っている。
「あら―」
雪城さんが驚いた声を上げた。
「あれ、えと…なに?」
ちょっと向こうの海面を見ている。
「なんだ?何かいたの」
「ああ、えと…あは、烏賊だ」
雪城さんが指差すほうを見てみると、確かに大きないかが身体をくねらせて遠ざかっていくのが見えた。
「ははは。ヘンなの」
「本当。うふふふふ」
結局その港には小一時間もいただろうか。小さなフネが時々出入りしていたが、静かな港だった。
雪城さんはそうした人々の営みを見ると酷く感傷的になるようで、なんともいえない表情をした。ああ、きっと何百年も昔から、ここではこうして漁師さんたちが魚を取って―などと呟く。
ただ、そうしたことへの寂しさや、自責の念、と言ったものはもう雪城さんからは感じられなかった。粛々として運命を受け入れる。そうして、それが自然なことなのだと割り切るようになったのだと思う。
浜まで延々とダートを走る。砂質のダートは締まっていて走りやすかった。それでも脚をとられるとふかふかになってきたころ、視界が開けて海が見えた。吹上浜だ。
風が強い。雪城さんは髪を押えながら、
「広いですねー!」
と叫ぶ。実際、とても広い。右を見ても左を見ても砂浜ばかりだ。まるで足跡も残っていない、落ち着いた砂浜だった。
陽が傾いている。薄赤く染まった雪城さんは綺麗だった。これも赤く染まりつつあった砂浜に並んで腰をおろす。
「ねえ、こんな風にしていて、楽しい?」
赤い雪城さんが勢い込んで言い返す。
「楽しいですよ、それは、もう。ええ、ほんとうに、毎日が新鮮で」
「でもさあ、もっとちゃんとしたとことまって、観光地めぐりとか。ほら、寝袋とか疲れるだろ」
「あなたは」
ドキッとした。雪城さんが凄く浮かない顔をしている。
「私といるのが嫌なの?」
「そそそそそそそんなことありません」
「うそ」
「うそじゃないです」
やばい。泣く。
「ごめん」
首を振る雪城さん。
「あの、さ。君はやっぱりその、年頃の女の子なわけで。そうなると、俺みたいに適当にふらふらするのって、つまんないかな、などと愚考した所存。いや、雪城さんがそんな風に泣くんならこのまま切腹を」
僕が額をこすりつけんばかりに頭を下げると雪城さんはやっとぷっと吹き出して笑ってくれた。
「わかってないのね」
「はひ。わかってないようです」
「本当に、口に出して言わないとわからないなんて」
何のことでしょう?
「あなたがいるからよ。あなたと一緒だから、何処にいてもそれだけでいいのに」
一瞬、思考が止まった。その隙だった。
「…ん」
彼女の顔がこちらに迫ってきた。四つんばいになっている僕と、後ろに手をやった彼女。ライダージャケットを反対側に脱ぎ捨てていて、Tシャツ姿だ。
あと30センチ。あと10センチ。
…接触。
軽いキス。3秒と繋がっていなかっただろう。それは本当にあっという間だった。
どんどん太陽が傾いてきて、海も空も、真っ赤になっていた。僕は助かったと思った。何故なら、僕自身の顔も相当に赤らんでいただろうし、それを見られるのは恥ずかしかった。
唇が離れても僕の目をじっと見ていた雪城さんが、顔をそらした。彼女もきっと赤くなっているに違いない。
「―ごめん」
なんとなく謝ってしまった。
「もう良いです。鈍いのはお互い様だし」
「いや、そのことより」
キスを雪城さんから求めさせるようなことをさせて。
お詫びに、今度はこちらから。
ついばむように、軽く。愛情と、そうして親愛の情を込めて。物足りないけれども、彼女の気持ちにこたえなければ。高ぶって、激しいキスになりそうなのを必死でこらえた。
赤い世界は幻想。空も海も赤く。
美しい世界。すこうしずつ暗くなってゆく。一日の終わり。もうすぐ終わる世界。瞳を開けると(僕は反則を犯した!)神妙に瞳を閉じている雪城さんがすぐそこに。すこし鼻息がむずがゆい。
ふいに、僕たちはもうここにはいなくて、全ての世界から切り離されてここにいるのだと。
そうして全ての人々から忘れられてここにあるのだと、そんなことを思った。永遠とも思えるようなそんな僕の感傷の時間はやがて終わった。
僕たちはそのまま抱き合った。僕は力の加減が出来なくなって少し強く彼女を抱いてしまった。
その抱かれる痛みすら自分の物にしようと雪城さんは僕の体に身を寄せてきた。僕はそのとき分かったのだ。僕は彼女の事が好きなのだと。こんなに歳の離れた、妹と呼ぶより若い彼女の事にすっかりまいってしまっているのだという事を。
僕たちはそのまま日が沈むまでそこにいた。一言も言葉を交わさなかった。そうしてバイクに跨るとキャンプ場へ戻った。
正直バイクに乗ると助かる。とりあえず顔は見なくてすむ。それでも背中に雪城さんの体温を感じていると、なんだか彼女の心臓の音まで伝わってくるようで。ふにゃ、っていう柔らかさと、ぬくもりと。
ああ、もう、今ここで世界が終わっても良い。最高の結末じゃあないか。そんな気がした。