葵ちゃんは強い(その14)

 ついにその日がやってきたよ
 葵ちゃんと坂下の決戦の日 いや エクストリーム対伝統空手の戦いだ
 両者にも意地がありプライドがある だから負けられないんだ
 そう 負けられない それは漏れにもわかる だがだからといってこういう結果を生むことになるとは 
 随分と誰かが手を回したらしく 放課後の武道場は随分と盛況だった 暇な生徒がどんどんと集まってきてえらい騒ぎだったよ
 格闘技ブームの昨今 話題のエクストリームと空手の異種格闘技だ ちょっと口コミで広がれば それはみんな興味を示すことだろう
 そしてそれは坂下が自ら広げたというのがもっぱらの噂だった 負けたら葵ちゃんエロビデオ出演というのもやたらと広がっていて どうも周知の事実となっていたようだ
 あまりにもよゆうたっぷりの坂下 しかし漏れは不安だった もちろん葵ちゃんが負けるなんてこれっぽっちも思っていない 漏れはもう坂下の身を案じていた 試合前、坂下はニヤニヤしながら葵ちゃんを煽るんだ
「松原、今日こそエクストリームが格闘技でもなんでもない見世物だって証明してやるわ」
 葵ちゃんも琴音ちゃんも無表情に聞き流すだけだ
 そのときの葵ちゃんはトレードマークの赤いブルマを長袖のジャージで包み 発達した体を隠していた
 もしあの時坂下が葵ちゃんの体をつぶさに見ていたら…恐らく酷く動揺しただろう
 葵ちゃんはこのときすでに漏れより太い上腕 血管の走りまくった前腕や大腿を持っていた
 一見してただの体でないと判る それは鍛えているというレベルではなくて 改造人間というのがふさわしい 
 その体を短い期間で作り上げた葵ちゃんの精神力はすさまじいものがある
 

 準備のためそれぞれが別室に下がった
 おおごとになってしまったため 坂下は空手部 葵ちゃんは体育用具室をそれぞれ控え室として準備することになった
 恐らく坂下は道場で後輩たちに大口を叩いていることだろう
 葵ちゃんはいつもの体操服とブルマに着替えて オープンフィンガーグローブを手にはめるだけだから準備はあっという間だ 試合まではまだ時間があった
 漏れは葵ちゃんを不安げに見つめることしかできなかった 
 けれども
「あああ、藤田先輩、琴音ちゃん、どうしよう!わたしとても不安です、負けちゃったらどうしよう、ああ、絶対にかてっこない」
 急に葵ちゃんが不安におののきだしたんだ
「坂下先輩も、もちろん綾香さんだってとっても強いんです。わたしなんてどうしようもなくドン臭くてつまらないちんちくりんのチンカス女なのにこんなだいそれたことをして、おまけにまけたら…あああ!」
 あんなに自身まんまんだったのに…
 この不安定さも 薬物の副作用だったのだが そのときの漏れは知る由もなくて
 葵ちゃんは本当は不安でたまらなかったんだ だから漏れをあんなふうに扱って自信を
 漏れは誇らしい!葵ちゃんの役に立つことが出来て
 …そのときはそう思ったんだよ
「さあ、葵ちゃんこれ」
 そんな葵ちゃんの様子を見て取った琴音ちゃんが かばんから取り出した薬壜から錠剤をじゃらっと掌にあけた
 その白い錠剤はなんともまがまがしい光沢を放っていたが 琴音ちゃんに全幅の信頼を置いているのであろう葵ちゃんは なんの躊躇もなくそれを多めの水とともに飲み干したよ


 効果はすぐに現れた
「あはははは」
 葵ちゃんは突然笑い出した 漏れは琴音ちゃんを見る 琴音ちゃんは満足そうに漏れを振り返った
「あの、琴音ちゃん…?」
 琴音ちゃんは笑って返事をする
「血糖値が下がっていたんですよ葵ちゃんは。え?なんですか?錠剤の成分ですか?ブドウ糖ですよブドウ糖
 漏れはそうなのかと感心した 思えばマヌケな話なのだがそのときはそれで納得したのだ
「あはははは!坂下!殺す!坂下!殺す!」
 急に怖いことを言い出す葵ちゃん
 しかし琴音ちゃんはまるで動じずに
「そうよ葵ちゃん!殺すのよ!坂下を殺して、そして、そして!」
「そう、来栖川綾香を殺す!殺す!殺す!」
 葵ちゃんはファイティングポーズをとるとシャドーを始めた
 まるで空気を切り裂くようなパンチ 本当に今の葵ちゃんは人を殺しかねない
 漏れは不安で不安でたまらなかったけれど でもこれが葵ちゃんの願いだったのならと押さえ込むことにしたんだ

 そして試合の時間がやってきた
 体育館に作られた特設のリング
 そこにいたのは空手部の連中と そして
 制服姿の 来栖川綾香だった




 よくもまあこれだけのリングが用意できたものだと思ったよ
 ポストもしっかりと立っているし ロープもぴんと張っていて まるで本物のリングだった
 後から聞いたのだが 全て綾香の差し金だったらしく 綾香がそのあたりを金にものを言わせて作らせたそうだ 
 ある意味物凄く余計なことだったが金持ちのすることは良くわからない
 まるで映画のように葵ちゃんはリングまでの道を進んだ ライトアップこそされていないが 生徒たちの見守る中リングへの道を進む葵ちゃんはまるでプロの格闘家のような貫禄が合ったよ
 ステップに足をかけ リングに上がる葵ちゃんはもうやる気まんまんで そして綾香のほうを物凄い目で見ていたよ
 葵ちゃんに付き従う琴音ちゃんが葵ちゃんに声をかける
「葵ちゃん、ノックアウトよ!ノックアウトよ!」
「殺す!殺す!殺す!」
 明らかに様子がおかしい葵ちゃん
 いつもにもまして気合が入っている いや入り過ぎだ 綾香をじっとにらんで殺す殺すを連呼した後は コーナーポストにこぶしを置いて頭をつけ 何かを祈っている
 
 そして坂下の入場だ さすがに坂下も戸惑っているが やはり余裕があるのだろう
 ゆっくりとリングインすると 葵ちゃんのほうへ歩いて近寄ってきた
「葵、わかっているわね、これが終わったらあんたは」
「うふふふ、エロビデオ出演ですか?」
 ひるむ坂下 いつものあの豪胆な表情がさっと消えうせる
「そんなの、どうでも良いですよ」
「いや違うんだ。あれは売り言葉に買い言葉で…本当は葵には空手部に」
 葵ちゃんは笑った
 そう 笑った あざけりを含んだ笑いだった
「あははははは!!」
 冷たい笑い その場の全てが凍りつく
 アハハハハハハハハハ・・・・・・
 むなしく広い体育館に広がる笑い それは全く狂人のような笑いで 坂下は怒ることも忘れて呆然とそんな葵ちゃんを見つめることしかできないんだ
 そこに制服姿の綾香が割って入る
「私語はそれまでよ」
 余裕たっぷりの綾香はまさに女王の風格を漂わせていた 葵ちゃんの様子を見ても動じることがない
「審判は私がするわ」
 そう 綾香がこの試合のレフェリーをするのだ ある意味これほど優れたレフェリーはいないのだが葵ちゃんはまたじっと綾香の方を見つめる
「…葵?」
 綾香はさすがに葵ちゃんに声をかけた
 思えば綾香は葵ちゃんに尊敬のまなざしを向けられることこそあれ 敵意をもって睨み付けられることなどなかったはずだ
 いや 彼女の人生の中で そこまで狂った悪意を向けられたことがあっただろうか
 バッティングやローブローに関する注意などを綾香が行っている間 坂下はひるんでいないことを誇張しようとしたのだろう ヘンにおどけたり 後輩の声援に手を振って答えたりした
 坂下は同性のファンが多い
 応援に来た女性のうち、空手部の坂下の後輩を除いても 観客のうち女の大半は坂下に声援を飛ばしている
 翻って葵ちゃんは男の期待を込めた視線が多いようだ
「やはりエロビデオ出演の話が効いているな…」
 漏れはその下種な期待に腹を立てると同時に葵ちゃんの漏れに対する様々な仕打ちを思い出していた
 奴らはきっと葵ちゃんは恥ずかしがり屋で負けたらエロビデオ出演という条件を悲壮な決意で受け取っていると考えているに違いない
 葵ちゃんが漏れのチンコを毎日のように踏みまくっていることを知ったらどんな顔をするだろう?漏れは少し愉快な気持ちになった ちっぽけな優越感だ


 レフェリーの注意が終わった 坂下はおどけたついでに要らぬことを葵ちゃんに言う
「ノックアウトだ」
 そういうとグラブを合わせる代わりに 思いっきり葵ちゃんが体の前に構えていたグラブに丁度鉄槌を下す要領で思い切り自分の拳骨を叩きつけた
 当然勢いで 葵ちゃんの腕は下方に弾き飛ばされるかと思ったが 葵ちゃんの腕はびくともしない
 そう まるで動かずまるで鉄柱を殴ったようにそのまま固まっていたんだ
 驚愕の表情の坂下 無表情の葵ちゃん やがて吐き捨てるように言う
「綾香さん」
 寒寒とした声に綾香はぎょっとした顔
「試合でもし人を殺してしまっても、罪にはならないですよね」
「…え?」
 綾香はあっけにとられ そしてすこし慌てた表情になった まったくあんな綾香を見ることになるとは意外だった 答えを待たず葵ちゃんは会話を打ち切り背を向ける
 その様はあまりにもクールで 漏れは怖いと思うと同時に すこしかっこいいとも思ったよ(*´Д`)