葵ちゃんは強い(その15)

 葵ちゃんがいったんコーナーに戻ってくる
「葵ちゃん、練習どうりよ!いつものように相手を襲って、どんな汚い手を使っても殺すのよ!」
「うん!殺す!坂下も綾香も殺す!犯して殺して犯して殺して犯して殺してやる!」
「その意気よ、葵ちゃん!」
「殺す…殺す!殺す!殺す!」

 ……(;´Д`)
 これは試合前だから、興奮しているから過激になっているんだと そう信じたい
 そして葵ちゃんはそこで初めて長袖のジャージを脱いだ
 まずジャージのズボン そして上
 そうしていつもの体操服とブルマになった葵ちゃんを見た場内はどよめいた
 遠目にもわかる 恐ろしいまでにビルドアップされた葵ちゃんの体
 発達しきって、そして無駄な脂肪は一切ない 完璧な肉体
 脚部は丸太のように張り詰めた大腿 膝へ向かって絞り込まれそこから下腿部へ 見事に二つに分かれたカーフ
 上腕は子供の胴体もあるほどの腕 そして前腕部 
 きっと服に隠された部分も恐ろしい肉体であるに違いない
 そして体のすべてに 異常なまでに血管が浮きまくっている
 まさに筋肉の城というべき葵ちゃんの肉体は 体育館の2階から遠巻きに眺めるギャラリーにも良くわかったことだろう
 葵ちゃんは人類を超えた



 …いや 人間をやめた!
 フリークス…いや その表現すら生ぬるい
  

 坂下も目を剥いている 勿論綾香もだ 危うく綾香はこちらへ歩いてきそうになって思いとどまった レフェリーという公正を求められる立場が綾香をそこに押しとどめたんだ
 でも そんな縛りがなければ綾香は多分看破していただろう 葵ちゃんたちが犯した”罪”を
 そして責めたに違いない
 葵ちゃんが一体何をしてこの場に臨んだのかということを…






 そして第一ラウンドのゴングが鳴った
 二人とも落ち着いてコーナーを出る
 と 坂下は猛然とラッシュしてきた その表情には明らかに恐怖が混じっている
 葵ちゃんの体を見て 恐慌に駆られたのだろう 焦りに焦った攻撃はなりふりかまっていなかった
 がんがんと葵ちゃんに坂下の攻撃があたる 全部命中だ 重たそうな突きや蹴りが体だけでなく顔面にもヒットする
 一方的にやられる葵ちゃん 漏れは思わずマットを叩いて叫んだ
「葵ちゃん!ガードだガード!なにやってんだ!」
 しかしその漏れの肩を琴音ちゃんが掴んだ
「…大丈夫ですよ」
「でも琴音ちゃん(;´Д`) 随分打たれてるよ」
「葵ちゃん、下がってませんし」
 たしかに葵ちゃんはまるで下がらず坂下の攻撃を受け止めている しかしいくらなんでも酷く打たれすぎではないだろうか
「あはははは!」
 琴音ちゃんが笑う
「ねえ、藤田先輩!」
 リングの喧騒に負けぬよう琴音ちゃんが漏れの名を呼んだ
「なんだよ…っ」
 漏れは葵ちゃん心配でついぞんざいに琴音ちゃんに答えた
 しかし琴音ちゃんはそんなことに頓着せず
「藤田先輩は、人殺しでも好きでいられますか!」
「…なんだって?」
「葵ちゃんが人殺しになっちゃっても、愛せますか?」
 坂下有利の一方的な試合展開に場内からは「見掛け倒し」「エロビデオ」などの囁きが聞こえた
 しかし実は葵ちゃんは一歩も引いていない それに坂下はむしろさっきより必死の形相で葵ちゃんを激しく打った
「琴音ちゃん、訳のわからないこといってないでちゃんと応援してくれよ (;´Д`) 葵ちゃんやられちゃうよ」
 しかしにやにやと笑う琴音ちゃん
「作戦どうりですよ。わざと打たせているんです」
「なんだって (;´Д`) 」
「だから、わざと打たせているんですよ。一応坂下先輩も上級生だし、すこしは立てて上げないと」
 漏れは怒り驚き呆れ そして怒鳴った
「ぜってー嘘だよそんなの!葵ちゃんがそんななめたことするわけねーじゃんか!」
 その次の瞬間だった
 打たれていた葵ちゃんがいきなり反撃した
 
「うぎゃあああああああああああああああああ!ぐぎゃあへいあkっぎうぇrq」  
 
 人間のものとは思えない悲鳴とともに吹き飛ぶ坂下
 漏れはあっけにとられた 小学校のころからなんどか殴り合いのけんかも見たが これほど人が吹っ飛んでしまうのは初めてだったのだ
 葵ちゃんが何をしたのかはよく判らない フックかストレートかアッパーか とにかく殴りつけたのは確実だと思う
 なぜならそのとき坂下の左顔面は完全にへしゃげており 頬骨は折れて陥没していたのだ

 漏れが琴音ちゃんの方を向いていた一瞬の間に それがおこり 振り返ったときには坂下は宙を舞っていたのだ
 しかし惨劇はそれではおわらなかった
 葵ちゃんは反対側のコーナーに坂下を押し込むと 物凄い勢いで坂下を殴り始めた
「ふんっ!ふん!ふんっ!」
 葵ちゃんが無慈悲に坂下にこぶしを打ち込む
 時折お腹や足を蹴ったりしている
 5発まで数えてやめた 何か赤いものがロープやマットに飛んでいる
 坂下の血だった
 見れば坂下は顔をぼこぼこに晴らしすっかり顔の形を変えていた
 頭部までへしゃげておりジャガイモのようなすさまじい部品に成り果てていた
 そしてぐったりとロープにもたれかかり 葵ちゃんの攻撃を受けつづけている
 葵ちゃんは無表情で ただ坂下をひたすらに打ち据えつづけた
 これは試合ではない もはや虐殺だ 漏れはそう思った
「人殺しになっても好きでいられるかだって?冗談じゃねえ!好きな人に人殺しなんてさせたくねーんだよ!」
 漏れの叫びは琴音ちゃんに届いただろうか とにかく勝負はついた
「おい綾香!なにやってんだてめえ!ロープダウンだろうが!坂下のダウン取れよ!」
 漏れは綾香に向かって叫んだ 綾香は呆然と目の前の情景をただ見ている
 綾香らしくないことに あまりの事態に我を忘れたようだ

 綾香が割って入ろうとする
「葵、ダウンよ!コーナーに…」
 そのときだった 葵ちゃんの狙い済ました必殺のハイキックが見事に坂下の側頭部にヒットした バランスを崩した坂下の鼻からはまるで押し出されるように盛大に鼻血が噴出し マットを汚した
 見れば葵ちゃんも返り血を浴びて真っ赤だ
 ブルマの赤より真っ赤な葵ちゃんの体
 それは恐ろしく印象的な光景だった
 真っ赤に染まった顔面の 眼だけが光っている 血に飢えた獣だ 
 ずるずるとまっとに崩れ落ちた坂下 もはやカウントの必要もない 腕時計から顔を上げた琴音ちゃんは満足げに呟いた
「58秒…まあ、秒殺というか、分殺ですか」
 漏れは琴音ちゃんを振り返った 声とは裏腹に魂が抜け落ちたような表情だった
「好きな人を人殺しにさせたくない、ですか。間に合いませんでしたね」
「…っ!」
 漏れは慌ててリングに分け入った
 ざわつく体育館ではこの一分あまりの残酷ショーに興奮するもの 泣き出す女子生徒 引きまくる奴など様々だ 
 どっと乱入してきた空手部の部員たちが坂下を介抱する
「保健室へ」「バカ救急車だ」
 混乱する部員たちを冷ややかに見つめる葵ちゃん
 冷たい声で宣言する
「無駄ですよ」
 葵ちゃんにとって強敵であり尊敬すべき先輩であった人はいまやただの肉隗に変わりつつあった
「死は止められません」

 それは部員たちには最高の煽り文句だったに違いない もともと血気盛んな空手部の部員たちだ だがそのとき 葵ちゃんに反論できるものはいなかった
 まず 坂下の容態が葵ちゃんの言うとおりになりつつあり そして
 真っ赤に返り血で染まった葵ちゃんは息一つ切らせず そこに立っていた
 瞳は覚めている そしてその深さは底知れぬ恐怖を周囲に与えていた
 これがオーラという奴なのだろうか もはや葵ちゃんにかかってくる奴など一人もいるまい そう思った矢先だった
「葵!」
 綾香が鋭く叫んだ さっきはちょっと自失したようだがさすが綾香だ 毅然とした態度をしている
「そのまえに…セリオ、病院に連絡して、大至急救急車を手配してもらって頂戴」
「かしこまりました、綾香様」
 リングの外で控えていたメイドロボに命じると 綾香は葵ちゃんに向き直った
「待ってくれ綾香!葵ちゃんは…」
「あなたは黙ってなさい」
 冷たく綾香に言われる その冷たさが絶妙に良かったので漏れは引き下がったよ (;´Д`) なんで漏れはこんなときにまで
「葵…あなた…」
「勝ちましたよ、綾香さん」
 二人の会話はかみ合わない
「ここまで痛めつけることはなかったでしょう!坂下はこれでは」
「こんなの、どうでも良いんですよ」
 唾でも吐きかけるような冷たい視線で葵ちゃんはぴくぴくとけいれんする坂下を見た

「私は綾香さんに近づいて、綾香さんに勝ちたくて、綾香さんのようになりたかったんです。強くなりたかったんです」
「そのためにこんなことを?」
「はい!坂下先輩だってぶっ殺してやりますっ!」
 明るく笑う葵ちゃん しかし他に誰も笑顔の者など居ない 琴音ちゃんも無表情で ただ葵ちゃんだけが晴れやかな勝利者だった
「坂下…のことじゃないわ」
 はあ?と眉をひそめる葵ちゃん それはなんとなく馬鹿にしたような表情で 綾香のプライドを傷つけるのに十分だったに違いない
「残念だわ」
 はあ と綾香は溜め息をついた
「坂下先輩のことですか」
「違うわ」
 綾香がはじめて葵ちゃんをにらんだ 憎悪すらこもっている
「私はあなたが強い子だと思ってた。その素質があると思ったから目をかけていたのよ。でもとんだ思い違いだったわ」
「…どういうことですか」
 はじめて葵ちゃんの表情に動揺が走る それは急転直下 さっきまでの興奮した様子も、KO後の覚めた様子もない 心の底からの動揺だった
「あなたは弱い」
 綾香は心底無念そうに言った


「こんなに弱い子だったなんて」