葵ちゃんは強い(その16)


「どうしてですか?わたしこんなに強く…今日は、ちゃんと作戦を立ててきたんです。30秒だけ坂下先輩に打たせて、まあこれは遊びですけど。後はロープに追い詰めてダウンするまで連打。とどめはハイキック。これで一分でKO。完璧な試合でした。いったいなにがいけないって言うんです」
「…とぼけるの?」
「なにがですか!」
「…運動競技者として、よ。確かに総合格闘技のドーピング規制はゆるいけれど…それでも、倫理的に超えてはならない一線がある」
「な、なにを言い出すかと思えば…私は不法なことなんてしていませんよ」
 呆れたように綾香は続ける
「薬に頼って手っ取り早く強くなろうなんて、そんな甘えた根性があなたの”弱さ”なのよ」
「弱い…」
 葵ちゃんはその言葉を重たく受け止めた
「そう、あなたは弱い。葵は弱いわ。本当に残念…」
 綾香はもう何も言うことはないと言いたげに葵ちゃんから目を話し 坂下の方へ歩もうとした そのとき
「そんな…私これまで必死で…」
 葵ちゃんの涙声が聞こえてきた 漏れは慌ててタオルをもって葵ちゃんのそばに駆け寄ったよ
「葵ちゃん!」
 でも漏れの声は葵ちゃんには届いていないようだ 綾香に突き放されたことがショックだったのだろう
「わたし、こんなにがんばったのに!必死にがんばったのに…うううっ」
 一人喧騒の中立ち尽くす葵ちゃんは血まみれで 漏れはとにかくタオルで拭いてやらなければならないと思ったよ
 でも…

 でも
「うわあああああ!」
 怒涛の叫び それがなんなのか初めはわからなかった 
「来栖がわああ!あひゃかへや!ころしゅうう!」
 葵ちゃん!みさくらが入っている!葵ちゃんは再び戦闘マシーンとしての己を活性化させそして坂下の体の横にかがみこむ綾香に踊りかかろうとしていた
「うわあああああああ!ころしゅうう!」
「葵ちゃん!駄目だ!やめろ!やめろおぉぉぉ!」
 返り血を振り払い 邪魔な人間を蹴散らして綾香に突進する葵ちゃん 振り返った綾香の驚愕の表情 セリオがすばやくこちらに走りよってくるが 間に合いそうにない
 漏れも葵ちゃんを止めようとするが あまりのことに動けなかった
 防御には不十分な体勢で 葵ちゃんの攻撃を受け止めようと構える綾香 だが中腰である上気持ちが入っていない とても危険な状態だ
「うわぁ!」
 葵ちゃんの渾身の右ストレートが綾香に伸びる見事な鋭い一撃で これではさすがの綾香も食らってしまうに違いない そう思った矢先
 
 
 





 破局
  
  
 そう 破局が訪れたのだ
 あまりにも早すぎた破局だった
 
 

  



 悲鳴 絶叫が再びリングにあがる だれもがその声は綾香の声だと思ったようだ
 だが実際は違っていた 葵ちゃんの絶叫だった
「い…痛い!いたいですっ!琴音ちゃん!先輩!いたい…い」
 なにが起こったのか判らない 綾香が何かを仕掛けたのかと思ったが綾香は半ば葵の攻撃を受けることを予期してあきらめた表情になっていて、その余韻が冷めない
 セリオが眼からビームでも放ったのかとおもったのだがそれもない

 そして漏れはもう一度葵ちゃんを良く見た 葵ちゃんの右腕 見事に発達しきった腕 そのひじ関節がありえない方向に曲がっている
「ううううう…」
 よろよろと立ち上がる葵ちゃん おそらくあの右腕は折れており 靭帯にも深刻なダメージを受けているに違いない でも
「いたい…あうっ…でもっ!私っ!綾香さんに勝ちたいんですっ!」
 そう叫んで今度は右の蹴りを繰り出した そのミドルは駆けつけたセリオによってガードされた そのとき漏れは異音を聞いた 初めて聞く音だった
 人工皮膚と肉がぶつかり合う音 そして 
 そして
 葵ちゃんの足の骨が折れ飛ぶ音だ

「ぎゃあああああ!」
 壮絶な痛みに違いない さっきまで坂下が転がっていたマットの上に今度は葵ちゃんがぶっ倒れる 腕も足もつかえない 一体葵ちゃんになにがあったというのだ
 見れば葵ちゃんの足はぐにゃぐにゃに折れ曲がり 太腿からは白いものが突き出している

 あれは…骨なんだろうか
 頭が理解を拒否する

「葵…」
 放心状態のなかから綾香が立ち直って もがき苦しむ葵ちゃんに近寄っていった
「葵、どうして此処まで…」
 さっきは冷然としていたが 今は慙愧に耐えないといった面持ちだ
「あ、綾香…葵ちゃんにいったい何があったんだ」
「浩之…あなたなの?葵にこんなことをしたの」
「こんなことって…」
「私です!」
 毅然とした声が体育館に響き渡る 琴音ちゃんの声だった
「藤田先輩はステロイドや成長ホルモン剤インシュリン投与には関わっていません」
「ふうん」

 綾香はじっとりと琴音を見つめた そこに敵意はあるのか漏れには判らない だが琴音ちゃんのことを快く思っていないことはわかる
「いい、浩之。葵が受けていたのは酷いレベルのドーピングよ」
「なにか薬物を注射しているって言うのは聞いていたけど…拙いのか」
「拙いなんてもんじゃないわ。よっぽど強力なステロイドを使ったのね、短期間でこんな肉体を作るなんて。でもね」
 葵ちゃんの手当てをセリオに任せる綾香
「筋肉は薬で増やせても、靭帯や骨は鍛えられないのよ」
「…どういうことだ」
「つまり」
 葵ちゃんはうんうんうなっている 返り血や自らの流した血 さらには糞尿鼻水涎 もう滅茶苦茶な状態だ しかし綾香の視線はけして見下したものではない
「発達しすぎた筋力のパワーに、それ以外の体のパーツの強度がついていけないのよ。坂下との試合を一試合こなして疲労した後、自分の限界を超えた打撃。…よほど私が…いいえ、とにかく練習でも使ったことのないところまで力を使ってしまったのでしょうね。それでも人間の体はリミッターがかかるものだけど…たぶん」
 そこで綾香は再び琴音ちゃんを見た 今度は琴音ちゃんは眼をそらした
「筋力増強剤に、肉体の限界を忘れるほどの興奮剤…とんでもないことをしたのね」
「とんでもないこと?」
 話が抽象的過ぎてわかりにくい 綾香は漏れの疑問には答えなかったよ
「その結果、パンチを出せば肘関節脱臼、上腕二頭筋断裂。キックを受けられれば大腿骨粉砕骨折、アキレス腱断裂。 人間の骨や腱が受けられる限界を超えてしまった。ここまで端的な例は聞いたことがないけれど」


「そんな…琴音ちゃんは安全な量を守って…」
「それは嘘よ」
 綾香はすっぱりと否定した 琴音ちゃんはもうこちらを見なかった
「でたらめな量のステロイドを入れ、でたらめなトレーニングをした。どう、最近の葵のトレーニングは。そうとう激しかったでしょう?」
「……常軌を逸していた。毎日スクワットを20セットも30セットもやるんだ。吐いてもまだやって。筋力トレーニングだけじゃない、ロードワークも、組み手も何もかも量も強度もでたらめで」
 また溜め息を綾香はついた 深く憔悴しきったため息だった
「それは限界云々って話じゃないわ。そんなでたらめな量のトレーニングをやるとね、普通人間の体や筋肉はかえって萎縮してしまうのよ。ただ、成長ホルモンを薬物で弄ると回復が早くなって、無茶なトレーニングを続けられるって訳」
 漏れは一言もなかった 漏れはまるでそんな知識がなかったから 葵ちゃんのことを気づけなかったんだ
「それだけだといいこと尽くめに聞こえるけどね。勿論副作用はあるわよ。それも惨いのが。見てのとおりの靭帯への負担。それにホルモンバランスの狂い、甲状腺機能の低下。内臓の破壊」
 やめてくれ… 
「綾香、葵ちゃんは…」
 綾香は押し黙った そしてうんともすんとも言わなかった むっつりした表情で救急車が校内に入ってくる様を眺めていた
 
「葵は、悪魔と取引してしまったのよ。覚醒剤まがいの興奮剤やステロイド―それも多分強烈なスタッグね、そしてそれらを投じることで確かに表面的には強くなった、けれど…」

 綾香は泣いているのかと思ったが さすがに泣いてはいなかった ただ呆然とした表情でこの惨劇の終焉を見守っていた 










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 琴音ちゃんが死んだのはそれから3日後のことだったよ(;´Д`)
 服毒自殺だったそうだ 遺書は遺族宛てのものが一通と 葵ちゃん宛てのもの それと漏れ宛てのものが一通だった
 このデジタル全盛の時代に 丁寧な筆跡で書かれた手紙は 琴音ちゃんの真面目で一途な性格をあらわしているようで 漏れは封筒の宛名を見ただけで涙がこぼれそうだったよ
 
 学校は一週間後 琴音ちゃんの退学処分を告知するつもりだったそうだが 琴音ちゃんが自殺したことで 処分は取り消しになったようだ 
 葵ちゃんは自主退学という形になった 漏れはあの試合の後会うことができなかった 綾香が手を回して 違法な薬物に関しては葵ちゃんに責が及ばないように取り計らってくれたらしい
 しかし搬送先の病院から 特殊な病院へと転送されたようで その先は教えてくれなかった
 綾香は人を介さず 漏れにわざわざ電話でそう伝えてきたので 漏れも深くは追求しなかった 漏れ自身酷いショックを受けていて 追求する気力もなかった
 漏れは長く暗い学園生活を過ごしたが あかりや雅史 志保らの励ましを受けて ある勉強を始めることにした 
 その勉学の道はとても険しい道のりだったが、自分にとっては絶対に必要なものなんだ
 だから頑張るよ





 
 これが漏れの語ることのできる エクストリーム同好会解散の顛末だよ
 漏れがもっと気をつけていれば 悲劇を回避することもできたんだ そう思うと本当に口惜しいよ
 みんな漏れを軽蔑するだろう いくら非難しても良い
 ただ 葵ちゃんも琴音ちゃんも本当に一生懸命で いい子だったんだ それだけは覚えておいてほしい
 いま あの学園には エクストリーム部が正式に部活として立ち上がっているらしいと聞く
 葵ちゃんのことは学園の黒い歴史として封印されているはずで恐らく関係のない人たちの努力で部活が認められたのだろうが 漏れはそれでも葵ちゃんの蒔いた種子が芽吹いたと信じたいんだ

 以上がこれが葵ちゃんと琴音ちゃんがToHeart2に登場しない原因なんだ 一人は死んで一人は今でも病院だからな 出てくるわけがないんだよ
 つたない文章で長々とすまなかった(;´Д`)葵ちゃんたちはこんなことになってしまったけれど みんなは間違えず楽しい学園生活を過ごしてくれ