2人だけの科学部(その4)

 雪城さんを蔵の前に待たせて、僕は中に入った。雪城さんちの蔵の中は思ったより広く、そこらの一軒屋くらいの広さはある。梁にいたが渡してあり、ちょっとしたロフトのような空間もある。充分に住めそうだが。
「…灯りは?大丈夫?」
「大丈夫だよ。洞窟探検じゃないんだ、気にしないで」
「でも…」
 あの苛烈な性格を引っ込めて、びくびくと中を伺おうともしない。

 そんな風に彼女をさせる出来事がこの蔵であったのだ。そう思うと、心臓が飛び跳ねてとても住むどころの騒ぎではない。
 雪城さんの心の奥に封印されていた傷。それがこの蔵なのだ。

 彼女の用向きはこの蔵の中の探索。それは彼女には成しえぬことなのだ。だがら彼女は僕に助けを求めた。
 以前入ったときは雪城さんも一緒に入るといって聞かなかったのだが、そのときは目的は達することができたとはいえ、酷い嘔吐と悪心を引き起こし、酷い有様になってしまった。
 そのとき引っ張り出せたのはあの数式、が書かれた「智慧の書」であったのだが、思うにあの時いらいますます雪城さんの精神は不安定になり、そしてあのおかしな実験道具の組み立てを始めたのもあのときからだし、あの智慧の書を手に入れるという行為か、それとも智慧の書自体になにか不思議な力でもかけてあるのだろうか。

 この智慧の書というのがふるっていた。装丁はいたってシンプル。分厚い辞典のようなそれを開くと、数式が書いてあるだけ。アインシュタインの、あの有名な数式が一行だ。後のページはなにか蚯蚓の張ったような線が並んでいるだけで、自分にはそれが文字だとは信じられなかったのだ。
 上にも書いたように雪城さんはその時酷く体調を崩してしまったが、急きょ部屋に敷いた蒲団の中でその本の内容を確認すると喘ぎながらも満足そうに笑ったのだ。
「これで人類を救うことができるのよ」
 僕は心の底から後悔した。矢張り、この陰惨な思い出のある蔵に雪城さんを近づけるべきではなかったんだ。
 しかしそれも後の祭りだ。彼女は何かを始めてしまった。
 過去の悲惨な思い出(それは彼女の心性とはなんの関わりも無い、彼女は卑劣な犯罪の犠牲者だ)を全校に暴露され、信じていた部員たち、友人たちは彼女の元を去った。一番の親友だった美墨なぎさも例外ではない。そのことを雪城さんはとても悲しんだようで、いまでも時々彼女の名を呼ぶ独り言をぶつぶつと言っていたりするのだ。
 
 酷い話だ。僕は兎に角、雪城さんの味方をする。それだけだ。
 我に返って、雪城さんに問い掛ける。
「蔵の…おくでいいのかな」
「うん。右手の奥に箪笥があるでしょう?その一番下の引出しよ」
 箪笥といっても重厚な塗りが施された立派なものだ。その大きな古箪笥の一番下の引き出しを引く。
 
 重い。
 体全体を使って勢いをつけないと引っ張り出すことができない。それほど重いものだ。
 そうして、漸く出てきたのは大きくながぼそい、風呂敷に包まれたなにかで、中にはどうも金属の塊が入っているようだ。そのまま雪城さんに伝える。
「―これでいいの?」
「…」
 無言だが、頷いている気配。どうも、やはり気分がすぐれないらしい。僕は意を決してその風呂敷包みを持ち上げてみた。矢張り相当重いが抱え込んで持ち上げることができた。そのまま蔵の外へ出る。
 そして、蔵の閂戸を閉じた。厳重に施錠する。そうでないと、その蔵の扉の隙間から飛び出した瘴気が雪城さんをへなへなとしなびさせて、殺してしまうような気がしたのだ。
「雪城さん?」
 暫く時を保つと、彼女は漸く落ち着いてきたようだ。それでも蔵の周りにいるのはあまりよくないようだ。僕たちは雪城さんの家のなか、彼女の部屋に移動した。
 
 もうあたりはすっかり夜で、こんな時間に彼女の部屋に入るのは緊張するのだが兎に角彼女の手を取って部屋に入り、彼女を座らせる。そして蔵の前に取って返し、その重たい風呂敷包みを持ち上げて家の中に運び込んだ。
 
 その重さ、形。無知な僕にもなんとなく想像はついた。