2人だけの科学部(その5)

「開けても、良いかな?」
 すこし緊張しているのが自分でもわかる。でも雪城さんはまるで子供にプレゼントを買い与えたような気楽な口調で「ええ」と頷いた。
 薄暗い部屋。畳敷きの雪城さんの和室にはほんのりと月明かりと、ごく控えめな光量の間接照明しかない。まるで時代劇の悪代官のわるだくみのような気持ちになってくる。
 年季の入った、しかし上等そうなそのつつみを解く。
 出てきたのは重々しい、鈍い光沢の金属…。
「雪城さん、これって本物?」
 半ば予期していたとはいえ、やはりそれは危険な代物だった。
「ええ。実銃よ。モデルガンの類じゃあ、ないわ」
 その鉄の禍々しい光を見た瞬間、雪城さんの頬に赤みがさした。ああ、彼女はキレイだなと僕は思う。それは本来の彼女の魅力とは違ったものだった。しかしその恐ろしくも透き通った横顔は僕だけが知っている、僕だけの雪城さんだったのだ。
「試製二式機関短銃と、その実包よ」
 こともなげに言う雪城さん。僕は呆然とその言葉を聞いていた。
「シセイ…なに?」
 なにかの言葉の羅列なのだが、さっぱりわからない。
「僕だって一応男の子だし、こういうものに興味が無いわけじゃないけど、でも」
 その銃は見たことが無いタイプのものだった。強いて言うならアメリカの戦争映画で分隊長が持っている、小さめの短機関銃や、自動銃としては小ぶりなその姿はよくいうウズィだかウージーだかいう機関銃に似ていた。
 雪城さんは無表情に、諭すように言う。
「私の曽祖父が軍人だった話はしたかしら?」
 僕は首を振った。
「そう。まあ、それは本題とは関係ないのだけれど。とにかく、そのひいおじいちゃまにあたる人が、軍の結構凄いところにいたらしいの」
「凄いところ?」
「凄いところよ」
「へえ、偉かったんだ」
 雪城さんは皮肉な笑みを浮かべてかぶりを振った。ぞっとする仕草だ。
「私の家系は呪われている。精神異常者の血筋よ」
 雪城さんは機関銃を取り上げて、ひっくり返すと予備弾層を上から叩き込んだ。もう一度ひっくり返すとレバーを操作し遊抵を滑らせる。その動作には淀みがなかった。マニュアルどうりだ、そんなことを間に挟んで雪城さんは話を続けた。
終戦時、私の曽祖父はハルピンにいたの。当時の満州、いまの中国北東部よ。そこである研究をしていた」
「研究、か…なるほど」
 血筋なんだね、そういおうとして言葉を飲み込んだ。雪城さんの表情はどんどんと嫌悪と苦悩に染まって行ったからだ。
「何の研究だと思う?」
 えっ、と間の抜けた声を出したきり。僕は黙ってしまった。きっとろくでもないことだ。
「えっと、見当もつかないけど。そうだなあ、雪城さんのひいおじいさんなら、きっと人の役にたつ研究を…」
 場にそぐわない僕の明るい声音。それはどんどんとあの危険な方向へ行こうとする雪城さんを”留めて”おきたいその一心が現れたものだ。入魂の演技だった。
 しかし雪城さんは僕のその言葉に…
「人の役に、ね」
 心底、立腹したようだ。無言で立ち上がると僕に背を向ける。長い髪がさらりと揺れて、奥の押入れに向かった。雪城さんは押入れを空けるとその中のダンボールを取り出した。
 丁寧に梱包されていたそれは、人目をはばかっているように見えた。いや実際に、何十年も人目を避けてひっそりとしまいこまれていたのだ。その禍々しさ。
 雪城さんが僕の前に持ってきたのは、その中から取り出した冊子4冊。そのうち3冊は日記で、もう一冊はアルバムのようだった。
「私の曽祖父は関東軍防疫給水部で化学戦の研究をしていた。俗に言う…」
 そのくらいは僕も知っている。731部隊だ。僕はその事実に呻き声を挙げそうになった。雪城さんのご先祖が人体実験に加担していたなんて!
 
 恐る恐る日記を手に取った。達筆な文字で几帳面に毎日の出来事が書きつけてある。

 曰く、ある細菌を捕縛したロシア人の少女に感染させ、その経過を見る…日一日と衰弱し、皮膚には腫れ物が無数に出来た。美しかった少女が今では正視に耐えない、といった様子。
 曰く、数十人の捕虜をナチスそのままにガス室に入れて、どのくらいの濃度のガスが一番効率よく人をしに至らしめるかという実験…。
 僕は一冊目の3分の1でギブアップした。
「どうしたのう?村田君、顔が蒼いわ」
 雪城さんはにこにことしている。
「軽蔑したでしょう?私はこんな家系の育ちなのよ。歪んでいるわみんな。おばあちゃまだけね、あの人はまるでそういう暗いところに気が付かずに逝ってしまったもの。でも蔵に入るなって言ってた位だから、もしかしたら知ってたのかも…それに」
 雪城さんがどんどんと早口になる。苛々しているのが傍目にもわかる。ぐるぐると腕を組み、部屋のなかを回りだしだ。
「そうよ、穢れた家系なんだわ。人体実験はね、組織的に行われたんじゃなくて曽祖父が趣味で行っていたのよ。おじいちゃまもそう、随分南洋で手酷いことをやって財を成したのよ。それからそれから…」
「雪城さん…」
 僕はそんな雪城さんを悲しい思いで見ることしか出来ない。手元の日記とアルバムを見やる。
 こんなもの、見つけなければどうということは無いはず。だが彼女は、こうしたものを”引き当てて”しまうのだ。まるではずれ無しのくじだ。酷い現実を、最悪の選択肢を彼女は”引き当てて”しまう。むしろ現実がどこかで歪められ、彼女を陥れているのでは無いかとすら思えてくる。
「それから、父は、お父様は、私の父は」
 いけない!不味いキーワードだ。あの言葉がでると雪城さんは必ず…!
「あのやろう。あのやろう、あのやろう!」
「雪城さん!」
 僕は思わず立ち上がって彼女の肩を掴んだ。そして彼女の瞳をまっすぐに見据える。狂気に染まった、澄んだ瞳。
「放して!」
 雪城さんは僕の手をいともたやすく振り払うと、さっきの機関銃を手に取った。セレクターを操作し、安全装置をはずした。
 そして、その銃口を。器用に右手を一杯に伸ばして、自分に向けた、筒先はふるふると震えている。そしてほろほろと静かに涙を流した。
「父親に、あの男に復讐してやる。ここに、この家に私自身をぶちまけて、汚しまくって死んでやる」
 ああ。
 ああ、仕方が無い。
 彼女に凶器を与えてしまえば彼女は、自分へとその痛みを向けてしまうのだ。
「雪城さん!」
 僕はもう一度叫んだ。さすがに勇気がいる。何度か、出刃包丁を構えた雪城さんと対峙したことはあった。ナイフで全身を切り刻まれたり、バットで撲られたりしたこともあった。だが、機関銃は…。
 僕は今度こそ死ぬかもしれない。いくら痛みに強いといっても、銃には抗しきれない。だが。
 放っておけば、彼女は自分を―。
「ほら、こっちをみろホワイト!僕が君の敵だ。ドツクゾーンの魔の手だ。早く僕を倒さないと、大変なことになるよ!」
 自分でもこれが何を意味するのか、良くわからない。彼女の注意を、悪意を引く言葉の羅列をしているだけ。だからなんの意味も持たない。ただ、こう口にすることで彼女は。
「…っ!」
「ほら、ドツクゾーンだ、ジャアクキングだ。光の園が大変めぽ」
 勿論、自分でも何を意味しているのかは良くわからない。しかし、なんとか彼女の心の琴線にさえ触れることが出来れば彼女を助けることが出来る。
 ――自分の身を犠牲にして。
 直後。
 風が鳴った。ぶん、ともひゅん、ともなんともいえない音だ。
 そして。
 ごん!
 僕の側頭部に衝撃が走った。痛い、というか、なんだかしびれるような感触。
「この!侵略者め!」
 雪城さんはバレルの方を握り、銃床を僕に向けて撲りかかってきたのだ。
「悪魔! 魔物!妖魔!魔魁!悪霊!怨霊!悪鬼!サタン!デモン!きちがい!物狂い!心狂い!左巻き!くるくるパー!発狂者!乱心者!狂人!狂者!狂漢!精神病者!精神異常者!精神錯乱者!」
 一言ごとに、雪城さんの全体重が乗った打撃が僕を襲う、頭、肩、胸。足。
 そして、それが一瞬、止んだ。
 僕はなんとか意識を保っていた。それは僕にとって不幸だったかもしれない。
 雪城さんははあはあと肩で息をしながら、満足げな顔で僕を見下ろしている。
 彼女が額の汗を拭った、そんなにも熱心に彼女は僕を打ったのだ。雪城さんの服にところどころ赤いものが付いている。なんだろう、と思ったが良くわからない。
「うふふ、村田君。痛い?」
 酷薄な声。ぞっとする。と同時に、心の底が熱くなる。
「うん。痛いよ」
「痛いだけ?」
「……」
 何度も繰り返したやり取り。しかしほかに方法は無いのだ。
「いや、気持ち良いよ。すごく良い」
「どうして?」
 そういって微笑む雪城さんはやっぱり綺麗で。僕はやっぱり好きだった。つまりこの身をささげても良いと感じるほどに。
「だって、僕は変態だから…」
 けらけらけら。雪城さんはとても楽しそうに笑った。
「じゃあ、いつものいっとこうかしら?」
 そういうと、雪城さんは機関銃の銃床を乱暴に僕の股間につきたてた。
 そしてそのまま杖を突くように全体重を預けてきた。
「うわああああ!」
 激痛。銃のストックの部分は縦に細く出来ていて、強烈に僕の性器に食い込んできた。その痛みはとても我慢できたものじゃない。
「うわあ、村田君本当に嬉しそう」
「う、嬉しい…?」
「だってほら」
 そう。我慢できたものじゃないが、同時に僕は。
「勃起しているじゃない」
 こうされるとどうにもたまらない気持ちになるのだ。
「痛い!痛いのになんでだ…!」
 我ながら情け無い気持ちでいっぱいになる。僕と僕のチンコは雪城さんのなすがままにされるのみだ。まるでそのために僕と僕のチンコが存在していて。
 ああああああ。それで良いじゃないか。
「ほらほらほら。変態!ホント変態よね村田君。いつも最後はオチンチンを踏まれたり叩かれたりして、それで勃起しているんだもの。ねえ、村田君?」
「痛い…!」
「村田君!」
「はい」
 息も絶え絶えに返事をする。痛い、痛い痛い。
「あなた、家でオナニー位するわよね」
「な、なに…うわああああ」
 僕が口ごもると雪城さんはいっそう力を加えてきた。否応もない。
「うん、する。するよ」
「まあイヤラシイ。まあいいわ。ねーえ、そのとき、どんなことを思い浮かべるの?」
「どんなことって…」
 ああ、雪城さんはわかっているんだ。僕がこうして言葉で責められることにも…。
「言わないと、もう、潰しちゃうわよ」
 ひい、と情け無い声を僕は出して、そして告白を始めた。いつも雪城さんにチンコを踏みつけられたり叩かれたり、プライヤーでねじられたりするところを想像しながらオナニーをしています。僕は情け無い男性です。
 世の中の男性はみんな情けないのです。
 里芋みたいな醜いチンコをぶら下げて、性欲の権化として女性を踏みにじることばかり考えています。それは恥ずべきことです。
 さあ全男性を代表して僕の粗末なチンコに罰をおあたえ下さい!

 ぐりぐりと銃を動かして僕のチンコに強烈な刺激を与える雪城さん。サディスティックな表情は昼間に僕の指を痛めつけたときとは比べ物にならない。とても満足そうな顔をしている。
 そう、雪城さんは僕の性器を足蹴にしたり、精神的にも身体的にも痛めつけるとき、もっとも輝いている。病んでしまった彼女が一番輝くのはそんな瞬間なのだ。
 僕は科学部の発表やら、学校行事での雪城さんを思い出す。文化祭の劇の雪城さんはとても美しくて、それは僕にとってとても神聖で近寄りがたい美しいモノだった。
 それが今では、僕のチンコを踏みしめたり握りつぶそうとすることを無上の喜びとしている。なんて哀しいことなのだろう。

 そんなにも。
 そんなにも彼女はこれが憎いのだ。男性が。そしてそれ自身が。
「うわああ!痛い痛い痛い」
「うふふふ。ほらほらほら」
 
 とにかく、雪城さんの危機は回避できたのだが…なにか大事な話があったはずなのに。僕はいつまで意識を保っていられるだろう。