2人だけの科学部(その7)

 さすがにおもいきり蹴り飛ばされると堪える。雪城さんに随分と鍛えてもらったとはいえさすがにサッカー部のキックは半端ではない。
 雪城さんに鍛えてもらった…?
 僕はすこし自分の状況を忘れてその馬鹿な言い回しに心中笑ってしまった。それはいやらしい薄ら笑いとなって頬に伝わったようで、それが僕の目の前の男にさらに僕を痛めつける原因を与えてしまったようだ。
「なんだあオイ、お前チョーシこいてんじゃねえぞ?馬鹿にしてんのか、ああ?」
 その聞くだけで知能指数が3下がりそうな男の粘りつくような絡み口調を聞いていると、やはり滑稽でどうしようもない。
(この人たちも…変わったよな)
 ある種の感傷を覚えてしまう。と言っても情緒的な感情をそれほど長時間味わうことはできない。
「アハハハ、藤P先輩、やっちゃってよ。もうこいつボコボコにしちゃってよ!」
 チャパツの女の子が少しはなれたところで、にやにや笑いながらこっちを見ている。

 そうか、こいつら、出来てたのか。
 さすがに昼休みの体育館裏に呼び出されるとなるとドキドキしたぜ。僕はきりきりと痛むみずおちの辺りをさすりながら立ち上がった。カウント15と言ったところか。もちろんこのリンチというかいじめには10カウントノックダウンとか、そういうルールはない。
 美墨なぎさからの一通のメールから始まった僕への暴力、暴行、虐待行為はまだまだ始まったばかりだったのだ。




 
 昼休み。
 僕は体育倉庫裏に呼び出されていた。授業が終わる少し前、僕の携帯に美墨さんからのメールが届いていたのだ。あまりメールそのもの僕は頻繁に使うわけではない(特にクラスから孤立するようになってからは殆ど使用していなかった)が、雪城さんからの緊急連絡だったらどうしようかと思い、授業が終わって直ぐそのメールをチェックした。
「昼休み、体育館の裏の空地で待っています。美墨なぎさ
 僕は困惑した。美墨という珍しい彼女の名字から受けるイメージは少々ネガティブなものが混じっている。たしか中学のときラクロス部の主将、期待されて高校に進学するも中途退部。理由については色々あって、ただ成績不振が理由ではなく、もっとダーティーな…
 ぶっちゃけて言えば、薬物使用の疑いがもたれたのだ。そのため彼女は自ら退部届けを出すという形になったものの実質ラクロス部を追われたのである。
 その後の彼女は、少しずつ変わっていった。変性していったように見えた。山中の大きな針葉樹が、外観はそのままに内部を虫に食い荒らされ、腐らされていくように。
 そしてこの夏を境に、彼女は完全変体を遂げた。夏休みに何かあったのが明白で、どぎつく品の無い化粧、汚らしく見えるピアス、乱暴でペシミスティックで下劣な言葉使い。刹那的な行動。
 夏が彼女をスポイルしてしまったのは明白だった。

 ただ、それでも女子からのさそいである。元はそんなに悪くない彼女の事だし、出来たら更正させたいとかアホなことも考えたりもした。
 まあ、全くもってアホなんだけど。




 荒れる女の影に男あり。美墨の場合もまさにそうで、最近の美墨は男としょっちゅうつるんでいた。その男が僕にとって因縁のある男、藤村だと聞いたときには少々驚いたのだ。
 たしかに藤村は僕の競技人生を奪ってしまったのだが、それを置くとしてもいまの彼は惨めなものだった。もっとも本人は惨めと感じていないようなのだが。
 彼のスポーツの才能は、尽きたのである。故障でもなければ病気でもない。彼は才能が無かった。所詮中学校どまりの選手だったのだ。
 勿論勝負の世界なのだから、それは受け止めて生きて行くしかないと思うのだが、藤村はしかしそれでも必死に食いついていった。
 そんな藤村が急にサッカー部を退部した。それは本当にいきなりで、僕を削って退部に追い込んでから一月も経っていなかった。
 その件については、えらくまことしやかな噂が流れたものだ。
「藤村はステロイドを使っていた」「注射器が部屋に散乱していた」「麻薬じみた興奮剤を」
 
 兎も角―藤村もまた、薬物の類で人生を棒に振ったのは疑いない。薬物カップルかよ。
 そんなわけで2人は不良化した。特に藤村のセンスのなさといったら無い。タブタブのジャージみたいなズボンとか、秒にひらひらの上着とか、部屋の中でもサングラスしてそこらじゅうに唾を吐いていた。
 時々授業中でも社会に対する訴えと言うか、情けない僻みみたいなのを妙な節回しで歌い、それを皆が囃すものだから本人は余計に調子に乗っていると聞く。
 まあそれはいいとして、せっかくさわやかスポーツマンで売って来たのにもはや彼には見る影もないのだ。髪の毛はまっ金金で目つきもめちゃくちゃに悪くなってしまった。

 正直彼からは痛みばかりを与えられてきたので彼の肩を持つつもりなど一切ないのだが、それにしてもこの変わりっぷり、転落っぷりには恐れ入るとしか言い様が無い。
 まあ結局のところ、サワヤカ藤Pに蹴り潰され様が不良の藤村にボコられようが、たいした違いじゃないのだけど。



 しかし。
 しかしだ。俺にはまるで身に覚えがないのだ。藤村が俺を殴る理由。美墨が結託している理由。

 最初は自分が部活のポジション争いのために潰されたのだと思っていたのだが、それはどうも僕の謙虚さが足りなかったようだ。だって、もうサッカーとは縁もゆかりも無い藤村がそのことで僕を殴る理由はこれっぽっちもない。

 立ち上がって、よろよろふらつきながら藤村に語りかける。すでに10数発のけりを腹に貰っていた僕は、のどまで酸っぱいものがこみ上げてきていた。
「先輩、あの。一体これはどういう趣向なのでしょう」
 鼻を鳴らす藤村。
「はん、趣向?趣向も何も、お前を殴ってすっきりするための楽しい集まりだ。次殴らせてやるからまってろな、なぎさ」
「えっ!ほんとう?やったあ!」
 美墨はなにかごそごそと持参した細長いソフトケースから取り出した。それはラクロスで使用するスティックだった。
「こおれえ、使うとこなくてえ、いま玄関の扉を開けとくときのつっかいぼうにしてるんですう」
 アホ丸出しの美墨の口調にはまるで知性を感じない。
 これで一時は雪城さんと仲がよかったというから驚きだ。俺はいきさつを聞いていないが、なにやら揉め事があったらしい。俺が足を痛めてサッカー部を退部した当時、彼女らの周囲でも色々と起こっていたようだ。
 ひゅん、とけさぎりにスティックを美墨さんが振り回すと風が巻いた。なかなか鋭そうな動きだ。
「先輩のやっていることの意義が見出せません」
「ああ?」
 藤村のヤンキー顔。醜い。ついこの間まで、学園一のハンサムであったはずなのだが、そこまで歪んでしまったのか。
 息が臭い。まちがいなく煙草の類だ。もしかするともっと違うものかもしれない、そういえばこいつらはすこし目が空ろだった。
「今ここで僕を痛めつけて、動けなくしたり悲鳴を上げさせたりすることに何の意義があるのです?自分の力を誇示するためなら、誰も見ていないここでやるのは全くの無意味ですよ、それにあの…グッ…」
 どすっ!と、藤村の重い蹴りが僕の腹に命中。胃が裂けるのではないかと思うような痛み。
「意味ならあるじゃねえかよっオラッ!お前を殴ってすっきりするってお楽しみがあるぜ」
 もう一発、前のめりに倒れたぼくの後頭部を踏みつけるように蹴飛ばすと、何かを美墨と話している。美墨は勢いよくこっちに突っ込んできた。非常に危険なものを感じよけ様と顔を上げると、目の前にラクロスのスティックが迫っていた。必死で首を振って頭部へのダメージはかわした。が、鎖骨に命中する。僕は情けない悲鳴をあげた。
「キャハハハハハハ!こいつ馬鹿みたい。よけきれるかってーの」
「おいーなぎさよォ。顔狙うなっつったジャン」
「あ、ゴメンナサイ藤P先輩」
 舌を出して謝る様はまるで普通の恋人同士かもしれんが、ちょっとまて、今君たちは相当酷い暴行を他人に対して働いているんだぞ?

 その日は、僕がやられるたびにいらぬことを言い返した所為で藤村達の嗜虐心が刺激されたのかそうとう念入りに殴られた。顔は傷つけず胴体のみを狙う方法で。



「おい村田。お前ほのかの家に出入しているそうじゃねえか」
「…え」
 とっくに5限目は始まっている。完全な遅刻だが、藤村達は特に急ぐ様子もない。どうやらこのままサボる気のようだ。
「お前、ほのかと付き合ってんのか?」
 僕が黙っていると、また蹴りがきた。もうどこを殴られたのか解らない。
「どうなんだよ、オラァ!」
「ただの…友人ですよ」
 ゆうじん、と言う言葉に美墨が反応したようだが、直ぐにもとの軽蔑したような目に戻った。
「まあ、どうでもいいや。とにかくよぉ、お前らがセックスだろうが露出プレイだろうが浣腸だろうが好きなプレイを楽しもうとしったこっちゃねえけどよ」
 下品な奴め。
「あのビデオだけは持ち出さないように見張ってろ」
 …へ?
「ビデオ、ですか」 
 藤村は不快げに顔を落した。
「一体、何の…」
「てめえ分かってんだろうが!ほのかんちのビデオつったら、あれしかねえだろう!あのエロビデオだよ!」
 件の、雪城さんを狂わせたあのビデオは程なくして雪城さんの家に届けられた。モノの状態からしてどうやらマスターらしい。だがこれからいったいどれほどのコピーが取られたかは解らない。が、とにかくそのビデオは彼女の元に返却された。
「でもそんなの、何処にあるのかわからないし…それに、それって処分されたんじゃないのかな」
「土蔵に行ってみろや」
 藤村はそのときだけは恐ろしく陰気な顔つきになって言った。横向きのその表情には、何処となく昔の藤村を思い出させるものがあった。
「あの、蔵ですか」
「そうだ。あそこにしまってんぜ。ぜってーだ。とにかくお前はそれを見張れ」
「なんだって僕がそんな…いたっ!」
 思い切り蹴り飛ばされたのだが、どうも意識が朦朧としている。痛みの知覚も中途半端だ。
「バカかてめえ!そうすりゃほのかだってこれ以上ごちゃごちゃ言われずにすむだろうが!」
 けっ、とつまらなさそうに痰を吐くと、美墨さんの肩に手を伸ばし、藤村はくねくねと身を曲げつつその場を後にした。

 僕は立ち上がることも出来ず寝転がったまま自分を襲った災難について考えた。雪城さんに言うべきだろうか…。
 いや、ダメだ。余計な心配をかけたくないし、それ以上にあのビデオのことが気になる。それに触れることは雪城さんの心を酷く傷つけるだろうし、それを土蔵の中に仕舞いこんであるというのもおかしな話だ。
 痛みはまるで治まらない。人が来る気配も無い。失神することもできぬまま僕は雪城さんのことを考えていた。