2人だけの科学部(その10)

 午前11時。大型の機材が特別教室棟に運び込まれるのを、授業中のガラス越しに眺めていた。大きなトレーラーに乗せられたそれはずいぶんたくさんの業者の人の手で運び出され、建物の中に消えていった。
 もしかして、と思うが…あれも雪城さんの取り寄せたものだろうか。搬入に際して、教員の立会いは一人きり、年老いた気の弱そうな数学の教員だ。あんなでかいものを学校に持ち込むのをよく認めさせたものだ、と思うのだが、あまり触れないほうがいいかもしれない。 
 それはともかくとして。今日も美墨と藤村から呼び出しがかかっている。連日の呼び出し。用事なんてあるわけがない。しかし僕は思うのだが、これはいじめなんだろうか。 
 別段クラスメイトたちにはなんの変化もない。まあ、落ちこぼれの僕を哀れむようなところがこのがり勉エリートたちにはあるのだろうが、少なくとも表面上は落ち着いている。
 つまるところ、美墨と藤村が俺を個人的に痛めつけているということなのだ。しかしいったいなぜ?本当に、単なる気晴らしなんだろうか。僕は別段哀れみをこうたりもせず、どちらかというといじめがいのない奴だろう。

 当たり前だ。僕をそんな風に扱っていいのは雪城さんだけだ。
 そして美墨はともかく、藤村はなにか切迫しているように感じる。それが何なのかはわからないのだが、どうも俺に何かを求めているような気がするのだが、てんで心当たりがない。

 まさか…アナルを?

 そのとき昼休みの始まりを告げるベルが鳴った。
「村田君」
 小さな声で雪城さんが僕に話しかけてきた。雪城さんはあの一件以来クラスの連中からは半ばシカトをされている。俺はといえば、まあそれは浮いている存在ではあるけれどもそれなりに普通の立場なのだ。
 だから雪城さんはめったに僕に教室では声をかけない。雪城さんは自分のことが影でどういわれているのかわかっているのだ。
「あいつ、すぐにやらせるぜ」「いくらだよ」
 そんな下卑た男子生徒の声を、幾度となく耳にした。そんな状態だから、僕とは距離をとっているのだ。そして、僕も−情けのないことに、面倒に巻き込まれるのが嫌で、なるべく教室では同じように彼女から距離を置いていた。本当なら「この人が僕の一番大事な人です!」とか叫んで力いっぱい抱きしめたいところだけど、あいにくそういう関係でもないし。ああ、微妙だなあ。
 とにかく。雪城さんは僕に話しかけてきた。それは異例のことだったのだ。
「えっと。何?」
「お昼、どうするの?私お弁当だけど、よかったら…」
「ごめん」
 僕はまず謝った。謝りながら、僕が雪城さんの誘いを断るなんてこれまであったのだろうかと思う。
「ちょっと、約束があって」
「……」
 明らかに不満げで、疑わしげな雪城さん。しかしそのとき、教室の空気が少しずつ澱んできていた。
(ほらあのエロビデオ女が)(うわあ、村田かよ。あいつもけがしてから落ち目だよな)(誘ってやがる)(男好き)(チンコ女)(精液便所)
 聞こえるように小声で。雪城さんのことをあしざまに言う連中。 
 その中には以前科学部の部員で、ずいぶん雪城さんと仲のよかった女子もいた。
「ご、ごめん!また今度!」
 僕はいたたまれなくなってその場から逃げ出した。まるであの教室という地獄に雪城さんを置き去りにするように。雪城さんはあそこに取り残されて、裏切られた級友のつめたい視線にさらされながら、ぼそぼそと老人のような箸使いで弁当を食べるのだ。
 ちがうんだ、僕には理由があって。これから藤村と美墨に殴られることを雪城さんに知られたくないんだ。
 心で思っても、まるで気持ちは楽にはならない。とにかく僕は早足で指定された体育館裏に急いだ。