2人だけの科学部(その12)

「わかってるよね、村田君」
「うん、わかってる」
 雪城さんとの短いやり取り。いとおしい人の愛しい声。僕は泣き出しそうな彼女の視線を受け止めることができず目をそらした。
「嘘をつく村田君には、お仕置き」
 どこと無くさびしそうな瞳で雪城さんは宣言すると、僕の足を踏みつけてきた。
「…ッ!」
 運動場から放課後の運動部員たちの掛け声やらなにやら、喧騒が聞こえる。少年、少女の声。それは日常であり、そして僕たちの周囲にもその日常は張り巡らされている。
 教師ですら気が付かない、掩蔽された非日常を塗り固めるように、その騒音は耳に届く。
”こんなところで、僕は…僕は…”
 そう、犯されているのだ。僕は嫉妬に狂い、僕に復讐せんとする雪城さんに―
 レイプされている。
 いつもそうだ。

「私以外の、人が、あなたを傷つけてはいけないのよ」
「うん」
「なにその返事 ふざけてるの」
「…いいえ」
「結構。で、誰があなたを痛めつけているの?」
 雪城さんはお見通しなのだ。この科学室は常に彼女の空間で、そうして彼女はその支配者だった。彼女の質問に虚を持って答えるのは、まるで古代の専制君主に抗う民衆のような勇気が必要だった。
「雪城さん。僕は誰からも…」
 ガガガン!
 酷い衝撃に僕はおなかを抱えてうずくまった。雪城さんが、僕に踏みつけていた足を、今度はみずおちに叩き込んだのだ。
「ああっ…」
 すっぱいものを口中に感じたけれども、何とか耐えた。
 雪城さんはおっとりした外見とは裏腹に、格闘術というか体術に優れている面があった。
 実に不思議な、流派も何もわからない。拳法とか空手ではない。
「あなたはいつもそう!嘘ばかり!嘘ばかり!汚いわ汚いわ!いつも私を汚して、傷つけて!どうしてそんな酷いことをするの!うそばかりよ!あなたは私を愛してなんかいない!都合よく私を玩具にしているだけじゃない!あんな酷いこと、あんな…!」
 雪城さんはうずくまった僕を殴りつけ、勢いで仰向けになった僕の股間を踏みつけた。
「潰してやる…っ!」
 思い切り体重を乗せてくる雪城さん。その瞳は狂気に染まっている。明らかに精神のバランスを崩しているのだ。
 何度も何度も繰り返される、雪城さんの男性に対する憎悪。
 僕はそれを受け止めた。
「誰かがあなたを傷つけるのなら、私はそれ以上にあなたを傷つけてやる!」
 もっと酷い刻印で。彼女は僕に痛みを与えるやり方で、僕を痛めつけようというのだ。



 一時間後。僕は酷く股間を痛めつけられ、尊厳を奪われた。雪城さんはやがて僕への暴力を止め、ブツブツと何かをつぶやいていた。
「…?」
 なにかののろいの言葉のようだが、どうにも聞き取れない。
 そして、雪城さんは科学室に隣接する準備室に入っていった。僕は目で追うだけの気力しかなかった。何故なら股間をいじくりまわされ叩きのめされて、酷く打ちひしがれた倒錯した余韻に浸っていたからだ。
 雪城さんが扉をくぐるとき、準備室の向こう側が見えた。なにやら大きな機械。
 ああ、あれは…昼に、搬入された大きな機械だ。しかしなんだってあんなもの…
 僕はその意味を考えず、ただ黙って雪城さんに心の中で詫びた。僕の何を差し出しても、雪城さんの心を癒すことができない。

 僕はうなだれたまま、科学室の床に横たわることしかできなかった。