アレクセイと泉

 12月20日。今日はトランスバール皇国航空宇宙軍の給料の締め日だ。この日をもってミルフィーユさんは軍を退役した。退役時の階級は中尉。半年前の作戦の功績が認められて昇進したものだ。それと勲章を二つ、またトランスバール皇国皇帝より爵位を授かった。
 ほか、年金、退職金はミルフィーユさんが満期除隊して支払われるものの1.5倍が支給されると言う。軍および国家ははミルフィーユさんに可能な限り報いたと言っても良い。

 ただ、お金や地位や名誉では補いのつかないものをミルフィーユさんは失ってしまったのだが。

 ロストテクノロジー探索は危険な仕事だ。ある日テクノロジーレベルの低い惑星に赴いたエンジェル隊は、そこに「ひとっところに集まるとものすごい勢いで爆発する不思議な液体とその動力炉」があるとの情報を受け、調査に入った。
 調査といってもずさんなもので、マニュアルにある調査手順をすべてすっ飛ばした無能な隊長の所為で動力炉は暴走。偶然その場に居合わせた宇宙ドカタの俺は必死で引き止めた。
「フォルテさん!スクラム(緊急停止)!スクラム!」
「ああーお前何言ってるんだよ、ものすごくいい具合に発電してるじゃないか。だってこの動力炉、100万キロワットが定格だろ?いまじゃ3000万キロワットで運転してるんだぜ?メチャ効率いいじゃん」
「だから暴走してるんですよ!早く制御棒を!」
「あーメンドクセーなあ。ホレ」
 緊急停止ボタンを押すフォルテさん」
「あ、作動しない」
「…………」
「どうしよう」
「えええええええええ!!!」
 俺は命を捨てる決心をした。このままじゃ半径数十キロの生物は即死。この惑星もヘタをすると居住不能になる。
 俺が制御室から出て行こうとすると、俺の袖を引く人がいた。それがミルフィーユさんだった。ミルフィーユさんは真摯なまなざしで俺を見つめていた。
 そのミルフィーユさんの視線を振り切って外に出ようとすると、エンジェル隊の醜い罵声の数々が聞こえた。「てめえ逃げる気か!」「あたしたちに責任を押し付けるつもり!」そんな中ミルフィーユさんだけは俺のほうを悲痛な視線で見つめていた。
 もう炉心の溶融は避けられない。炉心溶融による大災害の発生は決定的だとしても、更なる惨劇−炉心直下の冷却水との燃料の接触は避けなければならない。もし燃料の塊が大量の冷却水に触れたら、水蒸気爆発によって大爆発が起きるだろう。そうなれば他の反応炉ひとたまりもなく吹き飛ぶ。密集した反応炉がいっせいに爆発すれば、被害は…想像もつかない。
 階段で地下に到達した俺は、マニュアルで冷却水を抜くことを決意した。放射線防護服などあっても役には立たないだろう。
 地下の予備制御室に入ろうとハンドルに手を掛ける。鉛の分厚い板でできたその隔壁の3枚目に達したとき、俺の手にあたたかいなにかが重なった。人間の手だった。
「えへへへー」
 満面の笑顔のミルフィーユさんだった。
「危険だし時間がない!」
 乱暴な口調で俺は彼女を振り切って一人で制御室に入ろうとしたのだが、ミルフィーユさんは譲らない。
「大丈夫ですよぉ。私たち、宇宙空間を飛び回ってますから放射線耐性も高いですし、抗放射能治療も万全ですから万一被曝したって治っちゃいます」
 宇宙ドカタの俺には理解できなかったのだが、トランスバール皇国のテクノロジーはとても進んで意ると聞く。放射線障害まで克服しているのか…
「わかりました…少尉、手順は簡単です。いまから言うことを3分以内に行ってください。それ以上は被曝量が酷くて動けなくなるかも知れません。まず最初に…」

 余裕の笑顔のミルフィーユさん。押し問答の末、天使のような笑顔の彼女の言うことを俺は信用してしまった。ミルフィーユさんは一人で放射線の渦のなかに飛び込んで行ったのだ。
 そのことを、俺は…とても後悔している。
 
 俺の人生など、輝かしいはずの彼女のこれからに比べればまるで無価値のものだった。宇宙ドカタとして銀河の片隅で抜け殻のようになって暮らしてゆく俺と、17歳で皇国軍少尉に任官し、宇宙を飛び回る彼女。
 いやそんな社会的地位でなくても、普通にウェイトレスさんとしてささやかに飲食店を訪れる人に笑顔を振りまいて癒しを与える、そんな存在であったとしても社会的に有意義でとても素晴らしいものだったろう。

 ミルフィーユさんの活躍によって最悪の事態、反応炉の炉心溶融に伴う水蒸気爆発は避けられた。
 ミルフィーユさんがこうむった重大な放射線障害とその後遺症という対価を払って…。

 除隊の日はミルフィーユさんの希望もあって、ささやかなものだった。もはやミルフィーユさんは立つこともかなわない。車椅子を押す俺は悔しさを押し殺した。
 ミルフィーユさんは嘘をついたのだ。放射能を克服することなど、出来てはいなかったのだ。そう、放射能の嵐の下で生きながらえたとすれば、それは人類とは違う別の生物になっているのかもしれない。
 エンジェルルームで、車椅子のミルフィーユさんにエンジェル隊から花束が贈呈された。恥知らずなエンジェル隊の連中。形ばかり申し訳なさそうな表情をしているが、内心では自分がミルフィーユさんみたいな目にあわなくて良かったと胸をなでおろしているに違いない。
 こいつらも少なからず被曝しているはずだ。それなのにのうのうと。こいつらこそ…人間ではないのではないか?
 
 微笑を浮かべ、少し萎えた手で弱弱しくエンジェル隊の面々と握手をするミルフィーユさん。皆何か上っ面だけの言葉を掛けている。なんでミルフィーユさんは笑っているのだろう。ミルフィーユさんをこんな目にあわせたのは、皇国軍の情報の不正確さと、エンジェル隊の連中の無責任さが原因だったのに。
「神のご加護を…」
 俺がはっとわれに返ると、おとなしい表情の、ぬいぐるみを抱いた少女の隊員がミルフィーユさんに声を掛けていた。
 それまで黙ってエンジェル隊を睨み付けていた俺だったが、その瞬間…怒りが沸騰した。
「神だと…」
 その少女以外の全員が、びくっ、として俯いた。
「何が神だよ、手前!お前がそんなこと口にする権利があるのかよ!」
 しゅん、とうなだれるエンジェル隊
「神のご加護?はん、そんなものがあるんだったらいまここでミルフィーユさんの体を元に戻して見せろよ。奇跡のひとつでも起こして見せろよ!ミルフィーユさんの寿命を返せよ!お前らよくそんなしらばっくれていられるな!そんなに自分がかわいいか?そんなに責任を取りたくないのか?俺がお前らだったら自殺してお詫びしているぞ!お前たちがミルフィーユさんの人生を奪ったんだよ!死ぬまで悔いろ!ミルフィーユさんに頭を下げ続けろ!」
 俺は少女のぬいぐるみを奪ってぶん投げて、胸倉を掴んだ。
「やめてくださいっ!」
 大きな声。俺はわれに返った。
 花束を抱えたミルフィーユさんは目じりに大粒の涙を浮かべていた。

 −ああ。俺は…なんて駄目な奴なんだ。彼女を泣かせてしまった。

 
 皇国軍の軌道基地から往還艇を出した。ミルフィーユさんを助手席に乗せ、発進するまで俺たちは無言だった。
「ごめん」
 大気圏突入シーケンスが始まるまでの間に、沈黙を破ったのは俺だった。ミルフィーユさんは返事をしてくれない。
「本当にごめん。誓って、もう君を泣かせるようなことはしない。絶対に、だ」
 ミルフィーユさんの方を見ると、ようやくぎこちなくだが笑ってくれた。

 明日から、彼女との短くささやかな結婚生活が始まる。