無明

「あは…」
 純白のウェディングドレスはどんどん血で赤く染まっていった。狼狽した新郎の小狼が何かをわたわたと呟いている。
「あはははははは、はははは!」
 高く澄み切った声はまるであの日の歌声のようだった。朦朧としつつある意識の中、桜は懐かしい友人の名を呼ぼうと唇を動かした。と、と、とも、よ…
 しかし上手く発音できない、のどがひゅうひゅうと何度か鳴った。
 ほんの数瞬前、誓いの言葉をはっきりと言葉にした唇は上手く開かれない。
「憎かった!殺してやりたかった!だから私は、わたくしは!」
 桜の憂いを帯びた瞳はただ知世のみを見据えていた。
「一番あなたが幸せなときに、さくらちゃんが幸せなときに殺してやりたかった!今まさに生涯の伴侶と結ばれようとしたこのときに!いかがかしら、今の気持ち!悲しいでしょう!怖いでしょう?」
 どうして知世ちゃんは、昔のままなのだろう?ちょうど12歳の頃の昔のままなのだろう?私たちの前から姿を消したあの頃のままなのだろう…。
「わたくしが苦しんでいるときも、酷い苦痛を受けているときも!あなたは幸せでいた。笑っていた。それがただ、妬ましかった!わたくしはただ、さくらちゃんになりたかった。さくらちゃんになることができさえすれば、わたくしは!でも、それはできない。何故ならわたくしは精神病に取り付かれた、人殺しの忌み児だから。あのカードを開いたから、だから」
 桜の瞳は実に悲しげだった。失われてゆく命、自分の未来を悲しんでいるのであれば知世は救われたのかもしれない。
 李が桜の腹部に手をやり、何かをかき集めている。桜の下腹を引き裂いたそれは、桜の内臓を抉り出していた。
 その手口。桜の受傷部位。
 李は桜の内臓を必死で桜の胎内に戻そうとしていた。
 結婚式の参列者の中にはこの異常な光景の中である事件を思い出すものもいた。狼狽の中、あの陰惨な連続殺人事件の犯人が誰であったのか理解していた。
「そうだったの、利佳ちゃんや奈緒子ちゃんも…?」
「違いますわ、私は、わたくしはたださくらちゃんが、憎くて、憎くて!」
「…ごめんね」
 すっと、知世が刃渡りの長いナイフを取り落とした。とてもこの華奢な少女が扱うようなそれではない。力が抜け、そして、知世からなにかの感情が抜け落ちた。
「もっと早くに、助けてあげればよかったのに。ごめんね」
 大きく息をつくと、それきり桜は呼吸をやめてしまった。
 我に返った参列者たちが、知世を取り押さえようとしてその必要がないことに気がつく。そして桜の命を救うための努力を始めた。
 無論、何ができるでもない。内臓を抉り出された桜の体には、生存に必要な血液はもはや残されていないのは誰の眼にも明らかだった。

 知世は自分の両手、そして服についた返り血を見た。手のひらの血を、鼻を寄せて匂いをかいで見る。口に含んでみる。
 丹念にその血を舐めながら知世は静かに泣いた。