晴子さんからの手紙(完結編)








「何のって…」
からん。晴子が引っ張り出した肉に何かが引っかかっていた。それがこん、と音を立てて台所の硬質な床に落下した。    
Mは晴子の顔を引きずるようにして目をそらし、落ちたものを見た。
チョーカー。十字架のデザインのチョーカーだ。
あのチョーカーには見覚えがある。そうだ、女子の制服の首元についている、アレだ。
なぜあんなものが、あの肉の間から?Mは考えた。
謎の肉。チョーカー。狂人。観鈴の名を呟く晴子。謎の肉。チョーカー。狂人。観鈴の名を呟く晴子。謎の肉。チョーカー。狂人。観鈴の名を呟く晴子。謎の肉。チョーカー。狂人。観鈴の名を呟く晴子。謎の肉。チョーカー。狂人。観鈴の名を呟く晴子。謎の肉。チョーカー。狂人。観鈴の名を呟く晴子。
 
 
すこし寄り目になったMが、鍋に残った肉の切れ端を摘み上げた。声どころか端の先も、そして全身が震えだす。
「まさか」
「……」
 晴子は何も言わない。
「まさかまさかまさか、この肉は」
「ふとももや」
 ぼそっと、晴子は呟いた。
「…へ?」
「あの子は死んでなんかおらん。今もこうしてみんなの中におんねん。遠野とか言う子の腹の中とか、診療所の女先生の妹さんの腹の中とか、しのさんの子供らのお腹の中とか」
「う」
嘔吐感がMの喉元を刺激した。晴子が持っていた箱を取り落とした。ごろん、とその箱は重たげな音を立ててころがる。中には白い粉末状のものがつまっていて、それが晴子の足元に転がった。
「ああ、あかんわ。観鈴がお腹の中に入ってしまうとみんな死んでしまうんや。気がつくとなあ。うち、あたまおかしなってもたんやろうか。いつも記憶がとびとびになって、気がつくと死んどるねん。まるで誰かに殴り殺されたみたいになってなあ。うち思うんや、観鈴の心は普通の人間には耐えられへんねん。翼人の記憶には人間の器は小さすぎんねん。ああうち、なにを言うとるのやろ、幻聴がいつもいうんやそんなわけのわからんことをうちに言わせるんや。とにかくやからみんな死んでしまうんかなあ。そう」
何を言っているのか判らない。Mの頭はぐるぐると回っている。
「死ぬ…いや、ゴールしてしまうんや」
うぎゃああああ!Mは嘔吐を重ねながら晴子に掴みかかった。完全に我を忘れていた。刃物も、晴子がきちがいなこともみな忘れていた。
「うぎゃああ!う、うわあああ!ぎゃああ!」
あんなに恐れていた晴子だったが、掴みかかってみるといとも簡単に動きを封じることができた。晴子はほとんど抵抗しなかったし、晴子の体は酷くほっそりしていて軽かったからだ。まるで魂が抜けたよう、思えばろくに食事もとらずいたのに違いない、あとからMは思ったのだが、あまり意味の無いことだ。
思い切り突き飛ばして、Mは暗い夜道へと走り出た。
「おれはきちがいだ、人の肉を食ってしまった。人食いだ人食いだ。うわあい。神尾観鈴喰っちまった、犯して殺して喰っちまった、うひゃあ、うわあ、うひゃあ」
叫びながら吐き、吐いてはまた叫んだ。夜道は何処までも続いていた、Mはあたりが暗いのが恐ろしく、そうして何もかもが恐ろしく感じられた。まさにこの町は狂っている、フリークスタウンだ、そして俺はその町にすむきちがいだ、晴子と同じきちがいだ!





























その後この陰鬱な町にスキャンダルの嵐が吹き荒れ、在阪のマスコミはこぞってこの件を取り上げた。きちがいだきちがいだと喚きたてて夜道を走っていたMは数十メートルと行かず、少女連続失踪事件のため捜査中の警察官に保護されたのだ。もっとも"保護"されたときには容疑者扱いだったのだが。
晴子は近所の若い女の子や幼い女の子を片っ端から捕らえて監禁し、撲り殺していた。食料として与えたのは―観鈴の肉だった。晴子がぼりぼり貪っていたのは骨壷から取り出した神尾観鈴の骨だったらしい。このあまりの凄惨な大量殺人にマスコミが飛びつかぬはずもない、さまざまな煽り文句がマスコミの紙面を覆った。
その後の酷い混乱をMは覚えていない。ただ夏が終わった後も夏休みをフイにしたという奇妙な喪失感と、そしてあの不快感(あの肉を喰ったなどと言う経験は、たとえそれが幻であったとしても耐えがたいものだった)を感じ続けた。
何事も無かったかのように学校が再開し、何人かの女子生徒がいなくなってしまったのだが、元よりMにとってそれは重要なことではない。晴子が何処へ行ってしまったのかも実はもはや関心がなくなってきている。
全てが薄らぎ、まるでまた夏がやってくれば同じことを繰り返すような気がする。まるでこの病んだ町で閉じた世界にとらわれたような。
そしてMは悟った。この世界がなにかを間違えた世界であることを。
この世界から主役が軒並み退場してしまった後、不活性な風景、背景だけが残された。その世界には何の活力もない、ただただ、劣化してゆくだけ。
全てはほかの場所へ移されてしまう。この世界―このサイクルは終了したのだ。そう、夏が終わればこの先はない。
おわる、全てが終わる。
しかしMには何も変革することはできない。なぜなら彼はこの世界の背景に過ぎないのだから。
Mが笑いを浮かべようとした時、世界は閉じた。
  
 












  
                (完)