2人だけの科学部

「村田君、そっちの部屋に入っちゃダメ!」
 雪城さんの声に僕は吃驚した。最近は雪城さんの声におびえることが多くなってしまって、自分でも情けない。カーテンというか、暗幕で仕切られた壁の向こうにはドアがあった。以前は理科準備室として使われていたようなのだが、現在は物置になっている…筈だ。
「あっ…ごめ…」
 僕の謝罪はちっとも間に合わない。雪城さんはいつものように僕の手をぎゅっと掴む。やわらかくて、そして少し冷たい手だった。その繊細な指先を彼女はいささか乱暴に扱って、僕の右手の人差し指と中指の間に白衣の胸ポケットから取り出したボールペンをはさむと思いっきり握り締めた。
「…くっ…!」
「いーち、にーい、さーん」
 薄ら笑いを浮かべる雪城さんはとても楽しそう。十数えるとやっと僕の手から力を抜いてくれた。
「あーあ、最近村田君、泣き叫んだりしないからつまらないわ」
「だって…声を立てたから五秒追加とかいうのだもの」
「うふふ、そうねえ」
 今度は屈託のない笑い。彼女の笑いには二通りある。少女のような華やいだ笑いと、そして…
「でも口答えしたからやっぱりダメー」
 加虐心に燃える邪悪な笑い。今度は中指と薬指の間にボールペンを…。




「はあ、遅くなっちゃったからおかしなことをしているかと思ったけど…案の定だったわ」
「ゴメンよ、雪城さん。ついふらふらと」
「まあ良いわ。とりあえず村田君、観葉植物に水をやって頂戴」
「うん」

 ルーチン作業となっている植物の世話をはじめる。雪城さんは何か大掛かりな装置を作る準備をしているようで、理科室のおくのロッカーからごそごそと取り出していた。重たい金属のこすれあう音。いったいナニを作ろうというのだろう。
「水をやりすぎないでね」
 雪城さんは自分のことをやりつつも僕のことを消して見ていないわけではない。こういう心遣いはまるで変わらないのだ。
 変わったことといえば。
「うん」
 その草、”観葉植物”はキャビネットの中に隠してある。人工的に光を当てて、外に似た環境にしてあり普段は施錠してあるのだ。
 変わったことといえば、こうした隠し事をすることと。そして。
 僕は自分の腕を見た。袖を少しまくって見る。指はさっきのボールペン攻撃で腫れ上がり、そして手の甲や腕には蚯蚓腫れのようなものが走っている。お陰で僕は夏場も半袖を切れないくらいだ。
 しかし僕は満足している。
「ねーえ、村田君」
 ふと気が付くと雪城さんが背後に立っていた。
「水をやりすぎないでって、言ったわよね?」
「う…うん…」
 如雨露の水は空になっていた。僕は振り返って謝った。
「ごめん」
 はあ。息をついた雪城さんの手には半田ごてが握られていた。
「あなたが要らないことをするから配線作業にかかれないじゃないの!」
 肉の燃える嫌なにおい。十分に熱された半田ごての鉄芯が僕の手の甲に!甲に!
 
 そして今日も、二人きりの科学部の部活動が始まった。