かりそめの、ひとのなさけの、みにしみて まなこ、うるむも おいの

13日
なし。
14日
なし。
15日
なし。
16日
月宮あゆが憎い。
17日
なし。
18日
13日より、豊平川のほとりにある脳病院に来ている。来て、3日間、泣いてばかりいた。ここはきちがい病院なのだ。隣の部屋には私と年の変わらぬ、髪の長い愛らしい少女が居た。この病院に来てもう3ヶ月になるそうだ、よくよく話を聞いてみると、やれ、私と同じ高校ではないか。しかし話はさほど弾まなかった、何故なら彼女が「相沢祐一」という名前を出したからだ。私はその名前を聞いた瞬間にてんかんかなにかの発作をおこしたか何かで、気がつくと自室のベッドに横たわっていた。
相沢祐一とは私の従兄妹であり従姉弟であり、なにやら4親等、法律上は結婚が認められるが畸形の発生する確率も高く
19日
なし。
20日
畸形の子を抱いて呆然と立ち尽くすわたくしの手を祐一が取って励ます夢を見た。その畸形の子は奇妙な声で泣いた後息絶えてしまった。あの夢は何の隠喩だったのだろう。
月宮あゆが憎い。
21日
いとこ同士は鴨の味だよ、祐一。
22日
すっかり痩せた母が面会に来た。実に気まずい思いをした。親に泣かれるということがこんなに精神を疲労させるとは思わなかった。同時に、私の中にあったサディスト的な、そう、サディズムが励起されて危うく母を打擲するところであった。
常日頃から「おかあさん」と甘えたような声で呼んでいたのを「お前」だの、「売女」「あばずれ」だのと呼ぶたび母は震えるように肩をすくめ、そうして泣いた。そのありさまがまた私の奥深いぶぶんにある何かを刺激するのだが、そのことに母は気がついているのかもしれない。真性のマゾヒストで、私と引き合っているのかも知れぬ。
母は私が責めさいなむことを承知で私を産んだのだ、そう考えるとなんとなく合点がいった。
別に母は憎くない。ただ、月宮あゆが憎い。
23日
なし。
24日
隣の少女は川澄舞というらしい。かわすみまい。おかしな名前だ。
おとなしい人となりだったが、刃物を振り回すとかできちがい病院に入れられてしまったらしい。人は見かけによらないものだ。かく言う私も、こんな不当な扱い(つまるところ脳病院とは社会不適合者を排除するための装置、システム、仕掛けであってこのようなおぞましい前近代的な建物があるなどという事実には吐き気がする!見よ、あの鉄格子、厳重な施錠。あれこそ現世と我々を別つ門扉、ゲート、仕切りであって我々を外側へ置くための)を受けるまでは陸上部の部長だったのだ。「わたし、陸上部の、部長さんだよ」馬鹿のふりをしていた自分が呪わしい、恨めしい。
25日
気分が落ち着いてきた。脳病院の薬のせいだろうか。母を泣かせることも無かった。先週来の自分の日記を見て、自分が書いたとは思えないほどだが、しかし間違いなく自分が書いたものだ、とぼける気にも成れない。
26日
祐一に会えるらしい。
27日
この日、午後一時半、退院。まだ月宮あゆが憎い。


神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。だから、あなたがたは、今しているように、互に慰め合い、相互の徳を高めなさい。